年始から、

 

 毎朝、坐禅タイムを とっています

 

 朝5時半すぎくらいに起きて

 息子を 送り出して一息ついて

 

 7時半から30分 もしくは90分

 

 このルーチンが

 いましっくりと いい感じです

 

 車で15分くらいのお寺に行けるときは

 海を眺めながらドライブします

 

 お寺に行けないときは 自宅から参加します

 

 そして正午には

 マインドフルネスの先生についてもらって

 30分

 

 こちらは 昨年から

 続けています

 

 とても良い感じです

 

 

 お年始の集まりでは

 子供たちに混じって 書き初めをさせてもらいました

 

 

 ここ数年

 その年のインスピレーションで 言葉を選んでいます

 

 

 今年は

 2枚 書きました

 

 

 「龍」と

 「戸締まり」

 

(みんながご飯を食べているテーブルのすみっこで

 さっと書いたし←これは言い訳 拙く恥ずかしいのですが)

 

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 そのときは深く考えて選んだわけではないのですが

 半紙を前にしたときに さっと 出てきた言葉です

 

 これに関しては、まだまだ探求は続くのだろう、と 思います

 

 

 今朝 坐禅のあと

 晴れたキラキラした太陽を感じながら 

 洗い物をしているとき

 (なぜか今朝は 感謝や愛とつながって

 うるうると涙ぐむような至福感がありました)

 

 そういえば以前に

「信じる」という言葉を書き初めで書いたことがあったなと 思い出しました。

 

 「信頼」ということについて 探求していた時期でした。

 

 

 ブログか、SNSに載せた気がしたので 自分で自分のブログをサーチ

 すると 2022年の1月18日の記事が出てきました。

 

 それがこの記事です。

 

 ちょうど2年前の今日「信頼のテスト」という記事でした。

 

 

 

信頼のテスト

とにかく昨年秋からずっと

このことを探究しています。

「自分が信じられるための根拠」を
私たちはずっと探し続けている。

信頼と安心

「それ」があればわたしは心を開ける。

信じられたら、
安心できる。

安心して
ひらいて

気持ちを、こころを、身体を
ゆだねられる。

わたしを信じさせてくれるもの
信じさせてくれる人
信じさせてくれるメソッド
安心できる場所

 


大丈夫だと信じられる、なにか。
誰か。関係性を。

私たちはそれをずっと探し求めてきた。
憧れ続けてきた。

そして同時に、

愛する誰かにとって

信頼してもらえる自分であることも
自分自身に求めてきたよね。

その信頼に応えられるように。

そうじゃない自分は
価値がないような感じもして

ときには無理をして…。

冬至の頃にね

あれ?

それは全部

信頼じゃなくて

期待だったんじゃないか?って思ったの。

誰かに期待して
期待通りの言動を期待して
それを信じてるなんて言って

そして相手の期待に応え続けることも

どちらも本当は不可能なのに
期待しあって
安心の土台を

(外側の)なにかに求めてきただけなんじゃないかって。

 



それならば信頼ってなんだろう?

オリーブグリーンの問いかけ

信頼のテスト

ライムグリーンへ進化の時が来ているとしたら

私たちの信頼も
進化しようとしている。

新春のセッション最初の10人

みんな、信頼について 関係性について
向き合っている方ばかりだった。

きっと私たち人類の集合無意識が取り組んでいることなのだろう。

わたしだけじゃなくて。

信頼って

信じさせてくれる何かを外側に探すことではなくて

自分の内側で
自分の心にただ、決めることなんだ、
と気づいた。

信じられる根拠があるから信じるのではなくて
信じるか
信じないか

ただ、無条件で 
決めることなのだ。

そう思えたら

すごく心が軽やかになった。

信じるかどうか

自分で
選べばいいだけなんだ❗️

無条件に信じてもいいんだ。


信じるのかどうか
ただ、自主的に、選べばいいだけ
自分が心に 
決めたら良いだけ・・・

そんなこんなで

一月八日の書初めでは

これを書きました。

都市伝説みたいだけど😅
ちょっと違う。

いや、かなり違う。

ぜんぜんちがう笑。

 

「信じるか信じないかは わたし次第です」

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