2日目

『想像を絶する』という言葉は

こういうことを言うんだなぁ~と思いました。


わたくしが幼いころによく遊んでもらった

『志津川のお姉ちゃん』の住む

現・南三陸町へ向かいました。


仙台市内から北へ向かう高速道路の入り口は

尋常じゃないほど、どこも渋滞。


被災・り災された方々の高速道路無料化に伴い、

料金所では証明書などの確認をするために

時間がかかっているようです。


このことが本当に被災された方々にとって

よいことなのかどうなのか、個人的に疑問を

感じました。


これなら、東北方面だけでも週末1000円にして

支援に行かれる方々への負担軽減を考えたほうが

よいのではないか? とも・・・



道中、石巻の駅の道により、昼食を取って

せっかくなのでおみやげは現地のモノを!!

と物色。


石巻やきそばや B級グルメで有名になった油麩などを

購入。 油麩丼



まだ工事中の寸断された道路を迂回しながら

南三陸町へ


町に入ったとたん、心拍数があがり言葉を失ってしまいました。


道路の両脇には警視庁の大きな車が並び

道は酔うほどにでこぼこしていました。


(まだ捜索活動されていたのだろう。

翌日の新聞では発見された方がおられたようだった。。。)


そして、中心地は・・・


あの日となんら変わってはいないんじゃないか?


と思うほど、道だけが綺麗になり

真新しい電柱が建っているだけで

瓦礫も建物もぐちゃぐちゃのまま。


人の気配はほとんどなく、ガレキ処理の重機も数えるほど。


他県ナンバーのパトカーとカメラを抱え

窓からシャッターを切る車だけでした。


胸が苦しくなり、目頭が熱くなりました。


残念ながら、ここの現状は写真を何枚載せても

映像を流しても伝わらない。伝えられないと思いました。


そして、この4カ月で寸断された道路を作り

町の中を通れるように道路を確保し

なぎ倒された電柱を立てる


それが精いっぱいだったんだとわかります。


『町が消えた』


その言葉に尽きます。


それが、海沿いを通り、女川方面から帰りましたが

何キロ、何十キロも続いているのです。


仮設住宅も高台にあります。

しかし、何キロ走ってもスーパーが見当たりません。


車もお金もないうえに、何も買えない状況で

住むところだけ確保してやったと

胸を張っているようなエライ人たちは

『生活』することがどういうことなのか

基本的なことがわかってないのだと改めてわかります。


この『消えた町』をあとにせざるを得なかった方々は

未だに後ろにも前にも一歩も進めないのだと

思いました。


最近の報道で伝えられる『前進』されている方々は

まだ幸せなホンの一部の方にすぎないのだと感じ

一秒先が見えない方々にいつも想いと支援を

向けていこうとわたくし自身思いましたし

みなさまにお伝えしていこうと思います。