J side




「だってあの日、僕のうなじを・・・っ、」



翔さんは確かに噛んだ、

それは記憶違いなんかじゃない。





『あっ、・・・しょお・・・好き、僕だけの・・・番・・・しょお・・・っ』

『ああ・・・、俺の番は潤だけだ』

『あっあぁ・・・好き、しょお・・・っ!』




想いが昂まり身体がひとつになったあの瞬間

僕のうなじに翔さんは歯を立て、身体中を突き抜ける甘く痺れるような痛みを感じて

僕はそのまま意識を手放したはずなのに




番に・・・してない?




そんなの信じられなくて

〈嘘だよ、悪い冗談だ〉って

おどけながら言ってくれるんじゃないかって

淡い期待を込めて翔さんを見つめるけど

その形の綺麗な唇から出た言葉は



「ああ、噛んだよ。

だけど番になる程に深くは噛まなかった。

それでも仮の番状態にするには十分な深さだったから、潤の身体は今、一時的にヒートも起こってない。だけど日が経つにつれ効果は薄まり、暫くしたら元に戻る。」



僕を混乱させるだけだった。



「・・・どうして?

番になる寸前で気が変わって、僕の事が嫌になったんですか?!

・・・もしかして、最初から番にするつもりが無かった・・・?

本気になっていた僕を揶揄ってたんですか?

ううんっ、それとも他に新しく誰か・・・っ」



翔さんから知らされた真実は

到底僕には理解出来ず、ショックが隠せなくて取り乱しそうになる。

詰め寄りながら疑問をぶつける僕に翔さんは

一瞬目を閉じ首を横に振ると、ゆっくりと諭すように答えた。



「そうじゃない・・・、そうじゃないよ。

俺は・・・潤を苦しめたくない。

京香さんや、潤のお母さんのように

大切な人を捨てさせる、そんな残酷な事をさせたくない・・・、させちゃいけないってわかったんだ。

今は良くても、優しいお前はこの先きっと後悔する。

いつか必ず自分を責めて苦しむ。

そのせいで自ら命を縮めてしまうかもしれないだろ?」

「そんな事・・・っ!、例えそんな日が来ても構わない、僕は翔さんとずっと一緒に居るって決めたから!だから・・・」

「俺が・・・っ!」

「・・・!」

「俺がそれじゃ嫌なんだよ・・・。

ごめんな潤・・・、お前のその決断は本当に嬉しかった。

番として傍に置いて、共にずっと過ごして行けたならどんなに・・・そう思っていた、そう望んでいたよ。

お前を守る、俺なら守ってやれる、そうも信じていた。

だけど、番としてだからだけではなく、本気で愛してしまったからこそ、お前は俺と居たらダメなんだって気付いたんだ。

俺にはお前が、誰よりも何よりも

大切で愛おしい存在になってしまったから。

俺と離れる事で、本当の意味で

潤を守ってやりたいんだ。」



そんな話をされている訳じゃない筈なのに

どういうつもりか翔さんは、狂おしい程の僕への愛を携え、まるでプロポーズでもしている最中かのように、きっと今まででのいつより一番、熱い瞳でじっと僕を見つめる。




わからない・・・

わからないよ



さっきから翔さんは、何を言ってるの?



なんで・・・

何で・・・?



いつからそんな事を考えていた・・・?



僕の気持ちなんて無視したまま

勝手に決めないで

 


僕を大切だから?

そんな優しさが

どれほどこの身が引き裂かれるような辛さになるのか

翔さんにはわかってるの?



明日からはまた何もなかった頃の

社長と秘書だけの関係に戻れるとでも?



そんな事が本当に、翔さんには出来るの?



言いたい事、聞きたい事は次々に頭の中を駆け巡るけど

身体も口もうまく機能してくれなくて

僕だけの時が止まったかのように身動きが取れないまま、何も言えずフリーズしていると



「それと・・・明日から俺は、ロンドン支社の立ち上げに向かう。」



その沈黙を、理解したものと受け取ったのか

いつの間にか社長の顔になっていた翔さんは

僕にそう告げた。



「・・・っ、それは竜也さんが行かれるはずだったのでは?」

「・・・竜也には日本に残って、俺のいない間は副社長兼社長代理をしてもらう事にしたよ。」

「では私もご一緒に・・・」



慌てて頭の中を切り替え

秘書として対応しようとする僕に



「いや、潤・・・松本は来なくていい。」

「でもっ」

「何度も言わせるな。

松本に来て貰う必要はない。」



無情にも翔さんは、更に僕を孤独の中に突き落とすかのような言葉を放った。



「・・・なんで・・・ですか、僕は翔さんの秘書でしょ・・・?」

「そうだな、とても優秀な秘書だったよ。」

「秘書・・・だった?」

「お前には本当に感謝している。

今まで秘書として本当によく仕えてくれた・・・もう充分だよ、ありがとう。

この機会に暫くゆっくりするといい。

それに・・・松本には、二宮さんとの結婚が控えてるんだから。」

「・・・っ」



・・・充分って

感謝って・・・なに?

ゆっくりするといい・・・?



僕とカズとの結婚・・・?



この時やっと確信した。

認めざるを得なかった。



翔さんは本気で僕と離れようとしているんだ。

僕との繋がりを全て断ち

僕との未来を捨てて・・・



「・・・いや・・・だ、嫌だ・・・、嫌だっ!!」

「松本・・・っ」



僕の感情も涙腺も

瞬時にぐちゃぐちゃに崩壊して

みっともないくらい翔さんに

言葉の通り泣いて縋る。



「・・・離れたくないっ、離れたくないよ!

ねぇ、僕を捨てないで・・・?

お願いだからそんな事言わないで、・・・翔さんが望むなら何でもする!

・・・だけどっ・・・僕は別れないよ?

それは嫌だ、嫌だよ・・・翔さんじゃないと・・・僕は・・・っ」



年甲斐もなく、物分りの悪い子供みたいに

こんな事するのが格好悪い事だって

もしかしたら翔さんに呆れられるかもしないって、ちゃんとわかってる。

だけど今ここで、自分の本音を押し込めて

わかった様な顔をしたら、翔さんは二度と僕の元へは戻って来てくれない気がするんだ。

そんなの僕だけ一生、翔さんへの想いを抱いたまま、ここに置いてきぼりになる。

翔さんを失った僕に残るものは

翔さんを好きだという気持ちだけなんだから。



翔さんの上着の胸元を掴みながら

嗚咽を洩らし、泣きじゃくる僕の手を

翔さんはその掌で優しく包んで



「お前は二宮さんと別れられるか?

ずっとひたむきに潤を支えてくれた彼を捨てて・・・本当に?」



なりふり構わず泣き顔を見せる僕なんかより

ずっと悲しそうで苦しそうな表情で

翔さんは僕を見た。








※長くなっちゃったから分けますー。

ごめんねー