先週、先々週と所用で日帰りで埼玉県の寄居に行ってきました。

先週は、愛する人と向かいました。

秩父鉄道の路線をみて、「この先は長瀞なんだ。」・・・との一言で、そういや昔、長瀞に行ったな~と思い出しました。





長瀞には、25年前・・・・K青年部の心霊復興(統一教会用語:みんなで遊びに行く時はそう言ってました)で泊りがけで行ってきました。

後にも先にも泊りがけの心霊復興は、この時だけです。


うろ覚えですが、確か金曜日の夜・・・皆、仕事が終わった後、それぞれで長瀞に出向きました。

私は、数人の姉妹と待ち合わせて電車に乗り、長瀞に向かいました。

電車の中でも・・・統一教会員同士・・・年頃の若い娘がそろっているのに、浮いた話しやときめく話しは一つも出て来ず(当たり前だが・・・)専らみ旨(統一教会の摂理や活動等)の話しばかり・・・・

あ~、あの頃に戻って、普通の20代の娘のように、浮いた話しや事実にときめきたいです。


長瀞のキャンプ場で、夜を過ごしました。

統一教会ですので、浮いたことは何もありません。(でも、もしかして内緒で誰かと誰かは浮いたことをしていたかも・・・にひひ

夜はそれぞれのグループに分かれて祈祷会をし・・・男女別でそれぞれのバンガローに泊まります。





こういう時、世間一般の若い人なら、夜を徹して話したり、酒飲んだり、ゲームしたり、はたまた異性の部屋(布団ラブラブ)に潜り込んだりということがありますが・・・・統一教会員は真面目に早く就寝します。


翌日も朝の祈祷会からはじまります。

朝食を食べ、長瀞のライン下りをしました。




(今年の秋は、長瀞の紅葉を愛でながら、ライン下りなんて如何?)



ライン下りした時の写真に、・・・・(アップではありませんよ。紅葉の時期ではありませんでしたので。)・・・後に密かにホの字になった橋田さん(仮名)も写ってます。(その時は別の人にホの字でした。その人は、違う船でライン下りをしましたので、写真には写っていません。残念しょぼん


(橋田さんは、後に献身し、青年部の隊長となりました。)

(その時ホの字だった工藤さん<仮名>は献身者で青年部の小隊長をしていました。ある日、ホームからいなくなり、脱会しました。拉致監禁ではありません。)



これといった思い出はなく、普通に楽しかっただけですが・・・(心霊復興は大体そんなものです。)

今でも覚えていることがあります。


色気ある話しではないので、それを期待していた方は、ここで閉じた方がよいです。


長瀞に行ったのは、多分7月か8月頃でした。

その年の4月に、K青年部で少し体制変更があり、街頭伝道を中心にやるグループとサークル活動をしながら伝道するグループに分かれました。

私は、4月当初はサークル活動をしながら伝道するグループに入ってました。

(それでも街頭伝道も自発的にやって、コース決定しました。なんてエライ私・・・じゃなく、なんてバカなことした私です。)

心霊復興行く直前に街頭伝道を中心にやるグループに移りました。


夜の祈祷会、バンガローに泊まるグループは、街頭伝道グループとサークルグループで男女別々という構成でしたが、それぞれの小隊長は、逆のグループを担当してました。

女性実践グループの小隊長の飯田さん(仮名)がサークルグループの祈祷会をしきり、バンガローも、サークルグループの中で泊まりました。


私は、実践グループに移ったばかりだったので、サークルグループの中に組まれてました。


サークルグループは、3つ位小グループがあったのですが、その中の一つの班長(献身者でなく、同じ青年部員)林さん(仮名)は、本来私達と一緒に祈祷会に参加してバンガローに泊まるはずでしたが、祈祷会に参加しませんでした。


祈祷会が終わった後、サークルグループの小隊長の竹田さん(仮名)が飯田さんに話しに来ました。

竹田さん:「林さんは、私の所で(実践グループ)で寝ることにしたから。」

飯田さん:「何で?」

竹田さん:「心情が下がって・・・云々かんぬん・・・」

飯田さん:「全くね~」


飯田さんは、み旨に対してまっすぐな人でした。

スパスパスパと気持ちいいくらいみ旨を行うし、新規の人のコース決定率も高いので、信頼できるアベル(上司)なのですが、スパスパと切られて傷つくこともありました。

多分、その時の林さんは飯田さんといるのが辛くて、優しいほんわかした(でも、意外にきつかったですが・・・)竹田さんの所にいることにしたのでしょう。



林さんはほんわかした雰囲気をもってました。

気持ちを解放しきれてない女性でした。

確か、年は私より3歳下でしたので、当時まだ20代前半でした。

献身していた時もありました。

ビデオセンターの優秀トーカー外山さん(仮名)の霊のおばあちゃんと聞いた時は驚きました。


外山さんの霊の親・・・つまりは、林さんの霊の子は、私が統一教会に所属していた最後のマザー井場さん(仮名)でした。

(林さん、井場さん、外山さんは専門学校の同級生だったようです。)


林さんは、長瀞に行った心霊復興から暫くして、自然に教会に来なくなりました。

一度、井田さんが林さんをビデオセンターに連れてきて、また統一教会につなげようとしたみたいですが、結局つながりませんでした。(ヨカッタニコニコ


林さん、今頃、お母さんしていることと思います。(目に浮かびます。多分、顔は変わってないでしょう。)