I青年部に行き、数か月は求めれる実績も信仰基準も高い実践課で頑張ってました。

しかし、それが続かないのが私です。統一教会時代だけでなく、学生時代もそして今でもその傾向はあります。

 

1992年8月に3万双の合同結婚式(祝福)がありました。

何度も、このブログに書いているように、桜田淳子さん、山崎浩子さん、徳田篤子さんが祝福を受け、世間の注目を一気に浴びました。

最初、山崎浩子さんが記者会見した時は、マスコミは好意的に報道していました。

教祖が決めた知らない人と結婚するということに、奇異さは感じたものの、日本にはお見合いという制度があるし、古くには許婚という制度がありました。相手への感情はどうであれ、親の言う通り、家のため結婚生活を開始する・・・極端な場合は、結婚式の日まで相手の顔を知らないということもありました。

 

そんな文化があったこともあり、知らない人同士の結婚をそれ程世間は拒絶している感じはうけませんでした。山崎さんが「普通の結婚は結婚式の時がお互いの気持ちが最高峰だけど、私達の結婚は結婚式の時はゼロ(もしくはマイナス)で、そこからお互い気持ちを高めていく・・・」と言ったことが一部の若い女性の琴線に触れたらしく、「私もそういう結婚をしてみたい。」という人まで出てきたと言います。

 

好意的なマスコミ報道に反対派はじめ、霊感商法の被害者、元信者が黙っているわけがなく、統一教会の反社会性、カルト性が一気に報道され出しました。

最初に報道したのは、TBSで、可哀想にTBSはその後統一教会から取材拒否にあいました。

あの頃は、ワイドショーの殆どが統一教会に時間を割いてました。(世間から全く相手にされてない今とは大違いです。)

ワイドショーだけでなく、夜のニュースでも取り上げられていました。お蔭で、世間の殆どが「悪名高き統一教会」を知ることとなりました。

 

(故)筑紫哲也さんは「統一教会は嫌いだ。」と申しました。

(筑紫哲也さんの「ニュース23の変のコーナー」面白かったなぁ。統一教会が嫌いだと言ったのも、このコーナーでだった記憶があります。脱会して6年後だから・・・3万双から約10年後に、筑紫さんをあるミュージシャンの公演で見かけ、声をかけさせていただきました。統一教会は嫌いだ発言を聞いた時は、10年後、この方に声をかけることが起きるなんて・・・人生何が起こるかわかりませんね。)

 

 

私は当時、変則勤務をしていたので、平日の日中仕事じゃないこともけっこうありました。

青年部は、平日の日中は活動はありませんので、ワイドショーを思う存分見てました。

信仰基準は高くなく、霊感商法に躓きがあった私は、徐々に徐々に基準を落とし、教会に行けなくなりました。実践にも出れなくなりました。

ただ、統一依存症の私でしたので、完全に連絡を絶つことはできず、マザーや班長と電話では話してました。

 

そんな折、K青年部の顧問だった三田さん(仮名)から電話がありました。

三田さんは、6500双で祝福を受け、家庭出発していたので、統一教会の献身者の活動はしていませんでした。

三田:久しぶり~、元気?

私:まぁ・・・

三田:今度会おうよ~。話したいことがあるんだ。ところで、今、教会で頑張っているの?

私:あんまり・・・

三田:頑張っているなら、ちょっと話せないことなんだけど、頑張ってないなら、会おうよ。

私:・・・

 

頑張ってるなら話せず、頑張ってないなら会おう?って・・・どういうこと?まさかあの三田顧問が反対派になったってこと?まさか・・・と頭の中がぐるぐる回りました。

本来なら、I青年部のアベルに報告しなければならないのですが、何せ基準が落ちていた時なので、「まっ、いっか」と思い、報告もせずに三田さんと会う約束をしました。

 

三田さんは反対派に寝返っていませんでした。

会って、最初お茶しました。三田さんより、浄水器が勧められました。アトピーの酷かった兄弟(統一教会の男性のことを仲間内でそういってました。)がその浄水器を購入して使ったらよくなったから、私にもどうか・・・と言ってきました。

統一教会も浄水器を販売してました。三田さんが言うには、統一教会の浄水器よりいいという話しでした。

 

また、三田さんは浄水器を売っている所は皆明るくて良い、食口にもそんな明るさがあればいい・・みたいなことを話してました。

(この時は、マルチ商法だとはピンときませんでした。)

 

三田さんが言われるままに会場に行きました。会場で何人かから出迎えられました。

一人の女性のことを三田さんが耳うちに「食口だよ。」と言いました。

着いたら、講演が始まるまでスキューバダイビングをしている映像を見せられました。

バブルは崩壊した頃とはいえ、まだバブルの名残はありました。このビデオは、「夢があったけど、いつの間にか夢を諦めてないか?これから夢をかなえよう。」というメッセージがあったようです。

 

講演は、浄水器とお風呂の24時間自動湯沸かし器の説明でした。(昔、「湯名人」という商品がありましたが、そんなようなものです。と・・・いつの間にか、湯名人なくなりましたね。)

その後、自分達のやっている活動(マルチ)の説明と「皆で夢をかなえましょう。」というメッセージで終わりました。

 

 

浄水器は、家に簡易式(水道に取りつけるもの)があったので、断りました。お風呂の24時間自動湯沸かし器はちょっと魅かれました。購入する一歩手前までいったのですが、手続きの関係で購入するには至りませんでした。

 

三田さんは元々人当りがよいので、マルチの人達とも仲良くやってました。三田さんが連れてきた人ということで、何人かの人が三田さんと私のところに寄ってきて、握手を求めました。

私は求められたまま男性にも握手をしました。(統一教会ではいけないことなのですが、私はあまりいけないことという意識がありませんでした。⇒後で三田さんから「分別してね」と言われました。この時、三田さんが発した唯一の統一教会員らしい言葉でした。)

 

帰りに三田さんと食事をしました。(統一教会時代で男性のアベルと二人で食事をしたのは、この時のみです。)

三田さんはマルチの人達のことをべた褒めでした。私に活動までは勧めませんでしたが、ここに時々来て、ここの人達と話したらいいと言ってました。

 

その後、商品購入のことで、何度か私の住んでいる所の最寄の駅近くで会ったのですが、結局商品を買うことにはなりませんでしたので、それ以後、三田さんとは会っていません。

 

私の教会への気持ちが復活し、コスモで伝道活動を再開して暫くした頃・・・最初のK青年部のマザーだった土田さん(仮名)と電話で話す機会がありました。

その時に、「三田顧問から、何か頼まれなかった?」と聞かれたので、多分、三田さんはK青年部であまり熱心に活動してなさそうな人に声かけていたのでしょう。

 

時が流れて数年後・・・私が統一教会を脱会して、脱会届も出して一区切りついた頃・・・

三田さんの奥さんから手紙が届きました。(会ったことありません。)

手紙の内容は、献金の依頼でした。

手紙の中に電話番号も書かれていたので、電話して、脱会したこと、脱会届も出したことを伝えました。

三田さんの奥さんはビックリして、「今、行ってないという人は何人かいたけど、脱会届まで出したというのは初めて聞いた。」と言われました。・・・

(献金依頼も元K青年部のメンバー何人かに送っていたようです。)

電話には、三田さんは出てこず、三田さんからそれ以後連絡はありません。

 

三田さんは、今50代半ばすぎでしょうか?

順調にお子さんを授かっていれば、お子さんも成人していることになります。(そう言えば、三田さんから子どもの話しを聞いたことないです。)

私をマルチに誘った頃と同じところに住んでいれば、私の現在の実家の隣の駅近辺にいらっしゃるはずです。

今でも、家庭連合の教会に通っているのでしょうか?それとも名前だけ残して、今では殆ど教会とは関わってないのでしょうか?それとも、分派に行ったのでしょうか?

 

何となく分派に行ったのが一番あり得そうに感じます。(根拠なし)

以前は、三男派が一番あり得そうでしたが、三男派の上目メンバーとはタイプ違うから、他の分派かな、と勝手に想像してます。(サンクチュアリという感じでもありません。)

 

かつて、マルチのことを「経済カルト」と言われてました。(今も、そういう名称で呼ばれているかは不明)

現役、元問わず、統一教会員、けっこうマルチにはまる人多いのです。(カルトはカルトを引き付ける・・人は同じ匂いのものによってくる)

そのことを「私がカルトにはまった理由」から少し外れますが、次と次々回記事でアップしたいと思います。

 

PS:

三田さんが所属していたマルチは、潰れました。

偶然にも、私がコース決定したゲストがそのマルチで活動していた人で、その人から「潰れた」と聞きました。