2回目の拉致監禁・脱会までの過程・脱会後についてアップする

その前に・・・

下矢印

 

facebookで考えさせられる投稿が流れてきました。

投稿者・URLを公表しない約束で、(畑違い)ブログにアップすることをご本人の許可をとってますので、そのまま引用させていただき、それについて自分の考えを書かせていただきます。

 

※あくまで私の立場・経験からの考えですので、違う立場・経験された方は当然違う考えを持っていることと思います。決して違う考えの人を否定するつもりはありません。

 

※引用部分は青字

 

 

お薬を辞めたいと思っている方へ。

 

比較的すんなり辞められた人もいますが、辞めてから何年も離脱症状に苦しみ、体の健康を損ねている人も実際います。
そういった人たちの違いを私なりに検証してみると、「内観」に対する真面目さかなと思います。

 

誰か(薬、医者、家族、自分など)を責め続けてしまうと、体の症状も出やすいように感じます。
確かに責める儀式は必要なんですが、責めきって自分なりの答え、悟りのようなものを出せた人は強い。
逆にそこに辿り着けないと、薬物依存の問題が消えてもPTSDの問題は残ります。

 

比較的スムーズに辞めている人は、そうでない人に比べて自他への怒りが少ない。
やはり、必要なのは反発心ではなくて自立心です。

 

精神薬を飲み続けるという立場は、大人でありながら誰か(医者、家族、社会)に庇護される立場であり続けるということです。
ですから、精神薬を辞める行為は、子供から大人への階段を登る儀式に似ていると思います。

 

反抗期は、いつか卒業してくださいね。
自分が反抗期だなと自覚さえ出来れば必ず卒業出来ますから。
(今でなくてもいいですよ。反抗期さえない人が一番病んでいますから、あなたは正常です。)

 

多くの皆さんが読む場所に書いてしまうと、精力的に反精神医療の活動をされている方や、色んな各方面の方々を責めるような雰囲気になってしまうかなと思って自分のフィードに友達限定で書いています。
反抗期の途中の皆様を刺激したくないので…
( ̄▽ ̄;)

 

 

お薬(精神薬)や精神医療を統一教会に置き換えると、そっくりそのまま統一教会脱会について当てはまります。

 

私も統一教会を脱会した当初は、怒りでいっぱいでした。

トンデモ団体が存在し続けるのは、イカン!と思い、反対父母の会に参加したり、霊の子や一緒に活動していた人に「統一教会はダメよ~」とアクションをかけてました。(結局、アクションに反応した人はいませんでしたけど。)

 

脱会者や脱会者のグループと接することも多かったです。

 

(反対派の言う)マインドコントロール論も信じてました。

拉致監禁は辛かったし、基本は行うべきことではないという考えでしたが、マインドコントロールを解くためには致し方ないこと、必要悪と思ってました。

 

そのうち日常生活で忙しくなり、統一教会のことも自分が関わっていたということも頭の片隅にしか置かれなくなり、たまに思い出す程度になりました。脱会者の人と付き合う頻度もかなり減りました。

 

そんなある日の脱会して13年後の2009年の暮れ近く・・・

何気な~く開いた統一教会のHPに12年監禁されて統一教会に戻った後藤さんのことが出てました。

後藤さんのことは、脱会者の友人と「どうしたかね~?」と上記記事を見る数年前まで話題にしてました。

その後藤さんの監禁が12年にも及んだことに度胆を抜かされました。

 

一体何があったんだろう?とネット検索すると統一教会は拉致監禁反対キャンペーンの真っ最中で、拉致監禁に関する記事がいくつか出てきました。

殆どが拉致監禁されながらも脱会しなかった人や統一教会側の意見でしたが、統一教会と関係ない人が拉致監禁はイカンと書いているブログを発見し、食い入るように読みました。

 

拉致監禁で脱会しながら、拉致監禁反対と言っている人がいることもわかり、驚きました。

拉致監禁反対とハッキリ言うことは、拉致監禁脱会者にはタブーという空気が流れています。

「辛かったけど、嫌だったけど、親がマインドコントロールされた私を本来の私に戻すためにやってくれた愛なのだから、感謝しないとね。」という暗黙の掟がなんとなくあります。

 

拉致監禁について親や説得者を批判するなどトンデモないことで、そんなこと口にしようものなら、「恩知らず」「人間じゃない」「親の気持ちを考えろ!」etcと説教されます。説教されるだけならともかく、「まだ統一教会の間違いがわかってないのではないか?」「統一教会に戻るのではないか?」「偽装脱会ではないのか?」と疑われ、最悪再監禁の恐怖があります。

 

「そんなことまでないだろう。」という声が聞こえてきそうですが、一度でも監禁されると、統一教会に関連している限り、再監禁の恐怖は付き纏います。

後藤さん裁判の世話人をしている時、どこかから私が後藤さん裁判の世話人しているという情報が洩れて、「統一教会に戻ったのではないか」と誤解されて親に伝わって監禁されるという恐怖がありました。(後藤さん裁判の世話人をしたのは、脱会後15年経ってたし、親の年齢からは拉致監禁する体力がないことはわかっていたのにです。)

 

再監禁はなくても、拉致監禁反対を唱えると脱会者の友人が離れていきます。

脱会したばかりの時は、心を通わせられるのは脱会者の友人のみです。その友人がいなくなるのは、完全に孤独になるということです。

今まで真理と信じて活動してきた統一教会が誤りで反社会的迷惑団体でしかないと認識したことと、一緒に活動してきた心通わせてきた友人達と言葉が通じなくなる・・・喪失感を感じているところに唯一心が通う脱会者の友人も離れることは耐えられないことです。

 

そうならないため、自分に「拉致監禁は、マインドコントロールを解くには必要なことだった。」と言い聞かせて納得させてました。

だから、拉致監禁脱会者でありながら拉致監禁にノーといった勇気ある人がいることに驚いたと同時に、孤独になることを恐れて拉致監禁を黙認していた自分を反省しました。

 

マインドコントロールされたから統一教会に入信し、活動したと、私も他の脱会者と同様にずっと思ってました。

だから、米本氏が著書やブログでマインドコントロール論を否定しているのを読んで、違和感を感じてました。

拉致監禁はよくないけど、信者はマインドコントロールされているのだけど・・・と思ってました。

 

しかし、後藤さん裁判の世話人をしたり、自分の統一教会歴史を思い出すことで、私は反対派の言っているマインドコントロールはされていなかった・・・私が統一教会信者になり、活動したのは私の中に原理を信じ、実践する理由があったから・・・そして依存だったということがわかりました。

(理由と依存については後日書きます。)

 

拉致監禁反対キャンペーンに触発されて、拉致監禁されたことについても怒りを感じたことがありました。

しかし、これも統一教会信者となったことと同様、私の中に拉致監禁される理由があったから親は拉致監禁による強制説得に踏み込んだのです。

 

友人・知人・家族、はたまた街頭で声をかけられても、実際統一教会信者になる人は少ないです。

統一教会信者の中でも拉致監禁される人は少ないです。

その少ない中に入った理由は自分にあったのです。

 

自分の中にある理由をないがしろにして、自分は被害者だと言い続けていては、永遠に統一教会や拉致監禁した反対派等に縛られていて真の意味で自由になれないし、自分の人生を生きられないと私は感じます。

 

拉致監禁脱会説得していた牧師(私を説得した牧師ではありません。)が言った言葉でなるほどなと思ったのは・・・

「脱会者」と「元脱会者」

(この牧師は脱会して結婚して家庭をもったら「元脱会者」と変な解釈をしていたらしいが・・・)

「元脱会者」は統一教会から真の意味で自由になれて、自分の人生を生きている人のことだと思うのです。

 

そういう意味では、私は「元脱会者」になれているのだろうか?いや、まだそこには達してないな~と思います。

このブログを終了する頃には、「元脱会者」になるのが目標です。

 

と、色々まとまりなく書いてしまいましたが・・・

facebook投稿者が書いているように、被害を訴える時期も反対活動に関わる時期も必要です。

その必要な時期を通過した時・・・私のこの拙いブログ内容を思い出してくれたらと思います。

 

 

次回は、米本さんの現在のブログ記事の感想等・・・

次々回はマインドコントロールについて書きます。

(しつこい?)