かくして同じ病院に運ばれてしまったわけですが、
流石に救急車に運ばれてきたわけですから、同じように点滴が体に入っていかないというミスは
ここではなかったようです。
横になりながら、時々止まりそうになる心臓を抱えて、
私は、もう死ぬのかな・・・
いつ死ぬかわからないものなんだな。
そういえば、脱水症状で命を落とす人がいてたよな・・・
わかるなぁ。
こんなに一瞬で体のバランスが調整できなくなるんだから
家族も呼び寄せられた。
車でここまで40~50分くらいはかかる。
お手間を取らせてしまったけれど、
もう、死んでしまったら家族にも会えなくなるし、何もできなくなる。
生きてるってすごいなと思いました。
お昼も満足に食べていないし、おなかもすいたので、何か買ってきてもらうことにしました。
頭もまだボーっとしていたので、何がいいかをはっきり言わなかったのが運の尽きだった。
主人が買ってきてくれたのは、バナナとプリン。
よかれと思って買ってきてくれたのだろうが、この両方とも、脱水をさらに悪化させるものだったのです。
こういう時は、おかかのおにぎりとか、そういう塩分とカロリーの取れるものを買ってほしかった。
でも、なんでもいいと思って食べると、トイレに急に行きたくなり、おしっこがどんどん出て行ってしまうのです。
それでまた気分悪くなって、寝込みます。
点滴して落ち着いてきて元気になってきて、またそれらを食べると、またおしっこ行きたくなってまた異様に水分が出て行ってしまうのです。
看護師もアドバイスとかくれたらいいのに、だれも医療行為以外はやってくれない(´;ω;`)ウゥゥ
私はこの時は原因はわかりませんでした。
でも、入院か自宅に帰宅するかどうかの決め手は、この買ってきたものが悪かったと言わざるを得ません。
どんどん脱水症状が悪化するものですから、とうとう入院することにしましたが、
お部屋に行く前、車椅子に座ったら痙攣おこしたり、もうどうしようもないくらいしんどい状況になりました。
ポカリスエット買ってもらって、トイレに行きながら飲まないとしんどくなるので、入院中はいつもそうしていました。
この入院は4日続きました。
一旦よくなって2日目で退院できそうだからと点滴を終了すると、また気分が悪くなって吐き気がして、あと2日延びてしまったのです。
この入院中よかったことは、運動がやたらやりたくなったこと、
先生が、頭をからっぽにすることも大切と教えてくださったことです。
私はかつてなんでも考えすぎて、ぐるぐる同じことを思考する悪い癖がありました。
それでも、起こっていることが悪いから、こんなふうに悩んでしまうんだと考えていました。
あと、もうひとつ、脱水症状になって、よかったこと。
それは、救急車でもと病院に運ばれて、心臓が止まりかけているような変な鼓動だった時、
絶対このまま死んでなるものか。
何もせず、死んでなるものか。
そう決意したのです。
そのおかげで、リスクあっても54歳でグループホームで初夜勤もある正社員で仕事するチャレンジができたり、そのおかげでお金貯めて、55歳でAT自動車免許取りにいったり、ケアマネの資格所得して、社員で仕事できたり、家族でいろんなところに遊びに行ったり、あれからいろんな体験ができています。
ただ、脱水症状の後、仕事にはなかなか復帰できませんでした。
ホームヘルパーはちょうど直前に退職していたので、派遣でフルタイムで介護の仕事就くことになっていましたが、退院後、約束の日に行きましたが、1時間余りでしんどくなってギブアップしました。
それから間もなく、オルガンの練習をしていたら、腕が炎症をおこして激痛。それが何か月たっても治らず、面接行ったところでもそこで引っかかって採用ならず、その後も膝に炎症きたしたりで、1年はプー太郎する羽目になりました。
そのプー太郎の間の事件がひとつありました。
そのおかげで、引きこもっていた私は再起するきっかけを得たのですが、これは大事件でした。
続きは次回へ・・・・