神奈川県は日米修好通商条約で「神奈川を開港する」と言っておきながら、東海道という大幹線上の宿場町に外国人が入ってくるのを嫌がって無理やり対岸の横浜村も神奈川宿の一部だと言いはってそちらに港を作ったらそっちの方が発展してしまい県庁もそちらに出来たのですが、「あくまでも『神奈川』だからね」という事で神奈川県であり県庁所在地は横浜なんですよね。(たしかそんな感じ)
では埼玉はなぜ埼玉県で、県庁所在地は浦和なんでしょう?
蓮田からバスで岩槻に着きました。
なんか賑わった町ですね。駅も大きくて観光案内所まであります。
なんでこんなに栄えているのかな?国道16号線が通ってはいるものの、日光街道や東北本線から外れているし、岩槻駅自体も昭和になってから出来たくらいだから、そもそもは不便な片田舎のはずなんだけどなー。
岩槻からは更にバスに乗り継ぐのですが、そのバスまでは50分ほどの待ち時間がありました。
まぁ、ちょろっと町を見てみようと思っていたので程よいですね。
観光案内書で地図をもらって歩き出します。
駅から少し歩くと県道2号との岩槻駅入口の交差点。この道は元国道16号線です。その道沿いには銀行だった洋風建築など、多くの古い建物が見受けられます。
そのちょい先に「時の鐘最中」の店。
帰りに買っていきましょう。
更に歩けば人形博物館。
そう、岩槻は「人形の町」です。
でも、思っていたより大きい博物館なので見ていくには時間が足りないかな?
てな感じで歩を進めます。
そして駅から10分。
これは外せませんね。
武州鉄道はかつて存在していた私鉄です。
それの「岩槻本通駅跡」という事で何らかの遺構を期待していたのですが、完全に民家です。
う~む。100年近く経っちゃねぇ。
しかし、ほぼ同時期に東武の駅(まだ東武鉄道ではなかったけど)も出来てるし、岩槻ってそんなに鉄道を呼び込む町だったのかねぇ。
では、次を目指すとしますか。
てか、もう見えてますね。駅跡を通らせてもらえば行けそうですがそういう訳にもいかにいのでちょっと戻って回り込めば。
はい。時の鐘です。
ここも、民家の裏口じゃないの?と思える様な所を入って行くのですが、
その奥にドカッと。
ただし、写真に撮るのがはばかれるほど民家に囲まれています。
大宮の向こうには有名な川越の時の鐘がありますが、ずいぶんと違いますね。あちらは観光地化されていますが、こちらは残ってるという感じ。
中には入れませんが、ちょこっと上に登る事は出来ます。
で、上がってみれば隣の民家の2階が目の前。観光客がどっと押し寄せたりしたらたまりませんね。
階段は正面以外にもありますが、閉ざされていて、その先は個人の庭です。
保存状態もあまりよくはなく、入る事が出来ない内部を壁の穴からのぞくことが出来ました。
しかし、なんでこんな所に時の鐘があるのでしょう。
その答えは併設された公園?にありました。
そこの「城下町岩槻」という説明板によりますと、この鐘は1671年に作られたもので、川越の時の鐘とほぼ同じ時期です。
そしてこの場所から500mくらい離れた所に今は公園となっている岩槻城があって、時の鐘はその入口に作られたものだったのですね
入口から城までの距離からして結構大きな城だったのです。
で、岩槻という町はそもそも鎌倉時代に鎌倉街道と元荒川の舟運との交点として栄え始めた所で、かなり古くからの歴史がある町なのでした。
室町時代の1457年に太田道灌が岩槻城を築いて城下町となり、関ヶ原の戦い直前には徳川家康がここを通って小山へ。そこで小山評定が行われました。
以後、この道は日光街道とは別に将軍家が日光へ向かう際に使う「日光御成道」として整備され、町は城下町、宿場町としてますます栄えたのです。
江戸時代の岩槻城は譜代や将軍の側近が藩主を務める主要な城でした。
なので明治になって廃藩置県で浦和などを含む荒川の東側一帯が一つの県とされた時、岩槻がその中心的な土地だったのでここに県庁がおかれました。でその場所が埼玉郡だったので埼玉県と名づけられたのです。
つまり、岩槻は鉄道によって発展したのではなく、古くから栄えていたところに鉄道が通ったという事なのですね。
しかし、元々岩槻は幕府側だったので新政府の役人に牛耳られるのが面白くなかったんだか、役場に雇ってもらえなかったんだかで不穏な空気になって、わずか2週間で県庁は浦和の仮庁舎に移されてしまったのです。
そしてそのまま仮庁舎が本庁舎になってしまいました。
という次第の様です。
てな事をしていたら、ややや、バスの時刻まで20分を切ってしまいました。
これはまずい。
そりゃあ、1本遅らせればゆっくり出来ますが、その後の思惑もありますので急がねば。
人形博物館。
オブジェを見ただけで通過。
日光御成道一里塚。
通過。
ちなみに、岩槻が人形の町であるのも日光御成道に由来するそうで、岩槻を通って日光東照宮を作りに行った職人たちの一部が岩槻に住み着いてその技術で人形を作ったのが始まりとか。
そこから裏小路に入って武家屋敷。
通過。
その先の岩槻藩遷喬館。
ここだけは見ときたいな。でも時間が無いし……。
あっ!
もう年末休み~。
うん、しょうがない。よかった~。すっきり諦めがつく。
崩れかけた武家屋敷を過ぎて右折すればなぜか人が集まっている場所が。そこは「いわつき温泉」。
を横目に通過。
で、県道2号に。
ここを右に曲がればすぐに「時の鐘最中」ですが、もう無理。
年末にしては暖かい日差しに額に汗しながらバス停に着いたのは発車3分前でした。
ところで、古い航空写真を見ると、岩槻駅西方2Kmくらいの所に妙な地形があります。
国土地理院地図航空写真 USA R536-No2 1949/01/21 大宮より