様々な意見が飛び交う部会。

わがオケでは全体的に意見を交わすのはこの選曲部会のみと言っても過言ではない。

皆が思い思いに曲を挙げ、そのなかから委員会が選抜し、2曲ほど聴いて投票する、というものだ。

そうして得られた意見や結果は毎回波乱を巻き起こす。



しかし、波乱の後は必ず不和となる。

私自身、この部における様々な疑問点を不快に思っている。

今回はその疑問点を選曲部会とその周辺から浮き彫りにしてみたい。



まずは選曲部会の仕組みからアプローチをかける。



曲を挙げる基準はない。好きな曲を挙げればよい。

まずここに問題がある。好きな曲は必ずしも演奏可能とは言えないからだ。

ある程度自分の耳でふるいにかけてから挙げるべき。

また協奏曲がダメならダメとはっきりと言っておくべき。

スコア買って落ちたらまるで意味がない。

最初から落とす気なら最初からそう明言しておくべき。



挙がった曲のふるい方。

委員がスコア見ながら聴いて、直観的に判断する。

すると大概「技術的に出来る/出来ない」と「音楽的に好き/嫌い」

と言う言葉を組み合わせた4通りの意見が大半を占める。

ナンセンス。そんな意見ならないほうがいい。

そして直感だと絶対に厳選できない。



他にも、ソリストが必要な曲はボツ、楽器編成的にボツ、

ただそれだけで落とすのもひどい。

単に委員達のわがままを通すだけであれば選曲部会なんて必要ない。

そして結局、技術的に無理な部類の曲ばかりが挙がってしまう。

あまりに馬鹿げている。

そして小選挙区制などという表現も出たが、

委員会投票のしくみも変だ。

かなりいい加減な印象を得た。







次に、アマチュアオケとしての心構えについて。



これは「集客」の話と密接に関わってくるのだが、

アマチュアならアマチュアらしく振る舞うべき。

N響がマイナーな曲を取り上げても客は来る。

でもアマチュアがメジャーな曲を取り上げても大して客は来ない。

そんなものだろう。

この間の学園祭も、わが大学にはfuzzy controlという新参バンドが来たが、

同じ市内にある別の大学にはあのウルフルズが来たようだ。

普通どちらが集客効果がでかいか、いわずもがなウルフルズと誰もが言うだろう。



つまりは「何をやるか」ではなく「誰がやるか」という点で大概決まってしまう。

勿論、例えば手品、クロースアップマジックとかストリートマジックといった

観客の誰もが容易に楽しめるものであれば「何をやるか」も十分決定要素となりうるが、

音楽の場合は個人個人の好みが激しい。

そのため、さして好みなどは関係ないマジックと違い、音楽は聴きに来てもらうにはやや強要が必要となる。



つまり、クラシック分野でかつアマチュアの演奏となれば、集客は偏に「関係者の人脈」が頼りになる。

アマチュアでも上手な方ならもしかしたらそれ以外の客も来るかもしれないが、ましてや学生オケだ。

学生オケの中でもそんなに上手でもない(大学から始めて間もない人も乗るから致し方ない面は多分にあるが)

オケに客がどれだけ来るだろうか、と言う話である。

だからチケットコンテストというものを発想したことは素晴らしいことである。

それが唯一団員に可能な集客力向上方法だというのはもう分かるだろう。



選曲における集客力向上策はまず望めないと言って良いだろう。

どんなに有名な曲をやろうとマイナーな曲をやろうと、実際大差はない。

ただし、常にそうかというとそうでもないはずだ。

例えば今現在「のだめ」が流行っているが、そこで取り上げられた「ベト7」を採用するのは悪くない。

何も知らない人でも「あ、のだめのベト7だ!ちょっと気になるなぁ!」と思うかもしれない。

そもそもクラシック音楽というのがあまり率先して聴かれないものだし、

今こうしてのだめ効果で世間にクラシックがやや浸透しつつある状況下にあるなら、

ベタでもそれに便乗するのも良いのではないだろうか。

学生オケなんだから自由が利く、というのも一つのアピールポイントである。



不思議なことに、わがオケは変に「学生オケだから」と言ったり「オケというのはかくあるべき」と

ややプロ意識でも持っているかのような発言をしたりする。

そう言う言葉を使って巧に自分(委員)の意見を通そうとしているだけにしか聞こえないが、

その辺を曖昧にせずちゃんと明確にしてから議論するべきかと思う。

学生オケだからといって甘んじては勿論いけない。だから、「学生オケとして真剣に取り組む」

という姿勢は必要。ただ、それがめちゃくちゃ。

何も考えず適当にやってます、という感が伺われてならない。



まぁ、選曲する際、音楽を一度聴いて4通りの意見のうちどれかを発言する、というのは、

実際学生オケを聴きに来る客の立場通りと考えればそれはそれで良いといえる。

そして、学生オケにしてはレベルが高すぎる音楽というのを選ぶのは、

ある種学生オケだから許される面もあるが、「やりたい曲」を優先してきたからだろう。



そうだったとしても、それはそれで良い曲なのであれば良いのではないだろうか。

いまいち名の通ってない楽曲の中に聴きやすく親しみやすいフレーズがあるのであればそれでよいとも言える。

上とは全く違う視点だが、ここに関しては「曲の難易度」を考察する必要がある。



というわけで、曲の難易度を考察する。

オーケストラオンリーで考えれば、「やさしい曲」は存在しない、というのが正解だろう。

しかしどの曲も全てプロにしか出来ないかと言われると決してそうではないだろう。

アマにも出来る楽曲も少なからずあるはずだ。

少なくとも、オーケストラに関しては、どの曲も「難しい」。

要は「難しすぎる」音楽を選ばなければいい、と考えると選曲しやすくなるかと思われる。

しかし、何を以て難しい難しすぎるの基準とするかはまた問題である。

そしたらば、どのフレーズどの部分が難しいかに○を囲んでいけばどうだろうか。

そうしてそれが約半年で克服できる技術かどうかを検討して、そうして全てのパートで見込みがついたら

選曲部会予選通過、とすればよいのではないだろうか。



大概、選曲部会でもめるのは「技術面」である。

ならば、その点をクリアしたうえで選曲部会を開けばよいのではないだろうか。

そうすれば選曲部会でもめるのは「音楽性」のみである。

現実だけをみても、理想だけをみても、何も解決しないのは当然のこと。

だから、現実と理想の両方をある程度の妥協を以て実現しうる所を追求していくことが大切。



だから、曲を挙げる際に「好きだから」という理由で挙げるのは良いこと。

問題はふるいにかける側にある。

ふるいのかけ方、これを今一度再検討するべき。

選曲部会というのは何回も開けるものではない。

ならばそれこそ慎重にしていかなければならない。

委員が皆適当にしか考えていないのであれば、その時点でそこのオケの質というものが見える。

選曲はそこのオケの核心に関わる問題である。



大分いろいろ思いついたことを書き連ねたが、まだ言い足りない気がする。

しかし他に言うことが思いつかなくなってきたのでこの辺にする。

もう一度まとめて、再考察することにする。

とりあえず私の意見は中心が「選曲部会の仕組み・あり方」その辺になるだろう。

システムが悪いから問題が起きるという論法はまださほど繰り広げられていない。

まぁ、なるべく脱線しすぎない程度にもの申してみようかと思う。



ただ、あまり理不尽理不尽と叩きすぎるとじゃあお前が理にかなった選曲部会を

実現してみろと言われかねないからちょっとそこは困る。

私はあくまでオケにいるのはヴァイオリンが弾きたいから、ただそれだけだから、

それ以外であまりに多忙にさせられるのは勘弁。

付け加えるなら「一人でどうこうできる問題でないのは明らかだから、

全員が一段と一丸となって動かない限り一切解決には向かわない」と述べておこう。