『吉原彼岸花 主要キャラレビュー』 ~桜華屋時雨~ | 半腐女ry生活?

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(と言いつつ、中身はドラマCDの感想ばかり・・・w)

こんばんは。
18 禁 乙女ゲーム「吉原彼岸花」レビュー最終回です。


※18歳 未満の方の閲覧を固く禁じます。


あまりにネタバレがひどい時は白字にしていますのでドラッグしてお読みください。
ただ、白字にしていなくても結構なネタバレをしていますので、プレイ予定の無い方、コンプ済みの方用かと思います。ネタバレNGの方はご覧いただかないようお願いします。






桜華屋時雨
(CV.ほうでん亭ガツ)



凛の働く桜華屋の楼主が時雨です。とても頭の良い人で、抜群の才覚があります。

遊女たちに時に厳しく、日頃は優しく接していて、彼女たちはそれぞれ訳あって売られてきていますが、恨まれている風には見えず寧ろ信頼されているようにさえ感じます。
凛目線でゲームを進めているので余計にそう思うのかもしれません。凛に対しては特別甘いんですよね。時雨が初めて自ら育てた引っ込み禿だったから?なーんて上辺だけで判断していると真相ルートに衝撃を受けることでしょう。
時雨ルートに入る前から、少しずつなんだか彼から不穏な空気を察知するようになりました。凛への重い執着を纏っているというか。

それは例えば朔夜ルートで引き留めようとする際のもはや楼主という立場ではなく時雨という個人として出てしまった本心や、彰人ルートで彰人が幼馴染みの時雨に断って凛をもらっていく描写から薄々感じます。私は惣一郎ルートを先にプレイしてバッドを見た後に時雨ルートをプレイしその後再び惣一郎ルートでハッピーエンドを見て時雨真相ルートをプレイしたのですが、惣一郎ルートで決定的になります。凛が(たらいに入ってお歯黒どぶを渡るシーン)での会話を聞いていると先が大分読めたので、これはどういうおちをつけるのかということは何度も考えました。



まず、時雨との普通のルートですが、こちらでは過去の事件から左目の視力を失っている彼が、右目に負担を強いたためそちらの視力も失いつつあり、そっと楼主から退こうとして・・・というお話になります。
そもそも視力を失ったのは(禿だったころの凛をかばったからであり、凛は負い目を感じているんですね)。
が、こちらのルートでは凛が時雨の優しさや抱えているものを想って愛するようになっていきます。別に(負い目があるから支えなければならない)というふうに好意を履き違えているとは思いませんでした。

時雨の決意を知らなかった凛は、後任になるためにやってきた紫乃という美しい女性に複雑な感情を抱くようになります。そちらの方が好意を強くした要因だと思います)。



みんなで庭で花火をした後に2人だけ残って線香花火をして・・・のシーンなんて切なくて胸がきゅっとします。


きっともうすぐ、自分の花火も消える。
―二人きりの時間が終わってしまう。

凛、口づける
どうしても離れたくなくて、凛は時雨にぎゅっとしがみつき、なおも口づけをつづけた。
楼主に唇を寄せるなど、花魁としてあるまじきことだ。
けれど、もう引き返せない。
一度火のついてしまった花火が、あとはただ燃え尽きていくだけのように。
(遊女としてでもいい――ずっと時雨様のそばにいたい……)
時雨はやがて根負けしたように、凛を押しやろうとすることをやめた。

その手を凛の項に回し、逆にぐっと引き寄せる。
深い口づけを交わした後
「……これは、気の迷いだろう?」
「違います。気の迷いなんかじゃありません」
「――私は時雨様が好きです」

時雨は言葉をなくし、呆然としたように凛を見た。


これだけだとわかりづらいかもしれませんが、時雨は決して凛に同情して口づけを許したわけではありません。
美しいシーンだと思います。



が。
こちらの方のグッドエンドは真相エンドを見るとたくさんの疑問がわいてきます。
何も知らず幸せなままでいられれば良かったのでしょう。

もしこちらと真相ルートどちらかがパラレルであったならこちらがパラレルになるのでしょう。時雨の願いでありプレイヤーの願いでもある気がします。
あ、実際にはどちらも夢落ちなどではありませんよ!



さて、ここから真相ルートの話をしますが、全部ネタバレになるので以下白字にしました。大丈夫な方のみドラッグしてご覧ください。



プレイ中ずっと、代償について考えていました。
時雨は自身を保つために多くの遊女を○ ろし、なんとか装って生きていました。
その事実を乙女ゲームではどう扱うのか。
罪の意識を背負っているし、凛が支えていくのなら目を瞑ってあげよう、という赦される結末にするにはやっていることが酷で、それでも赦すというならやはり乙女ゲームであるという前提を取るということになるのでしょう。私はそれで納得できるのだろうか、と思ったんですね。
時雨が歪んでしまった原因は家庭環境にあります。
青年だった頃の彼は父の仕事の関係で訪れた駿河で最も深く沈んでいる時に凛と出会い救われ、以来彼女をよりどころにして生きてきました。
凛は実家の呉服屋が江戸に出棚したものの失敗し桜華屋に売られてきましたが、それは表向きの話で真相ルートとはまさにこのことかというような・・・とにかく、全部読むと恐ろしい真実が浮かび上がります。
他にも彼はもう1人消していますが、こちらはそこまでされれば現代の感覚なら情けをかけられるでしょうが、江戸時代なら言語道断の大罪であったことでしょう。
しかし、畳みかけるような事実の応酬があり、時雨を一概に非難することはできないところがライターさんのよく描き切っているところだと思います。
1人の人間の辛い生い立ちと、何人もの人間の命を天秤にかけることはやはりできなくて、時雨というキャラは好きなのですが結末をどう受け止めようかと・・・。
もしかしたら真相ルートの「彼岸花」エンディングでさえ本来なら甘いのかもしれません。でも私は
「凛が私を『人』にしてくれたんだよ」
という一言ですっと黒い憑き物が落ちていったような気持ちになりました。
このエンディングは最初のハッピーエンドと違い2人の間に夫婦になりたいという類の愛情が通っているとは言い切れませんが(体 を 重 ねるシーンはありますが、脅迫されてしているような甘さとは程遠いものばかりです)、傷のなめ合いであったとしても共依存であったとしてもあのエンディングは許されていいのではないかと思います
)。


あ、最後にもう1回だけ言わせてください。
ほうでん亭ガツさんが素晴らしかった!!!言葉に感情を乗せることの大きさを改めて教えていただきました。






これにて終了です。
たくさんのシーンが思い出されて楽しく書かせていただいたのですが、気づけばとても長くなってしまいました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました<(_ _)>




追伸

9月20日?を持ちまして当サイトへのアクセス数が延べ50万人に達しました!

何も更新していないのにすみません(;´Д`A ```

そして、本当にありがとうございます!

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