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アメーバが10年だと言うことで、ふと10年前何してた?に参加してみましたニコニコ

23歳の4月…

5月に控える手術を前に東京から地元の北陸に引っ越してきたとこでした。

東京で美容師として働いていて、あと少しでスタイリストになれるって矢先…
足の付け根の激痛に耐えられなくなり東京の病院を受診したのがキッカケ!!!

股関節に疾患があり手術をしなければいけないと分かり父親の紹介で京大病院で手術をする事が決まり、仕事を辞め一旦夢を保留にして田舎に帰って来たのが今から調度10年前の4月頃…

今思えば、この頃は手術したら完治して元通りの生活が遅れると思っていました。その後5月に手術をしたものの術中のミス!?で神経麻痺になり、「歩けないかもしれません」と言われ股関節よりも足首のリハビリばかりやっていました…。
汚いけど下の感覚も無くなってたので最初はオムツしてました。

ここから美容師復帰なんて絶対にあり得ないと自分自身が1番痛感していて、こっからどうやって生きて行くの…?
と途方に暮れる日々ショック!

三ヶ月の入院中はカラーコーディネートの勉強をして何とか資格を取ってと奮闘しましたが、そんな事したくらいじゃ何にもならない気もしつつ何かしてないと不安に押しつぶしされそうでしんどい毎日でしたしょぼん


私は長い間、個室にいたので他の患者さんとの交流は殆ど無かったのですが、少し落ち着き大部屋に移ると若い男の子との出会いもありました…。

私が入院していた京大病院の整形外科は交通事故などで入院してくる人はいないので若い人は殆どいなくって、若い男の子達は全員骨肉腫の子達でした!

私よりも3つから6つ程、歳の離れた男の子友達が4人できましたおやしらず

毎日一緒にお喋りしたり、夕飯を食べたり…抗がん剤治療を受けている時は外に出られないので全員が集まることはなかなか無かったけど毎日一緒にいるし病院だし…
結束力は固かったです!

私は骨肉腫がどれ程の重い病か知りませんでしたが、同じく入院中に仲良くなった看護師の友達に
「深入りし過ぎない方が良いよ!辛くなるかもしれないよ!」と忠告され初めて生存率の低い病気なんだと何と無く認識しました…。それでも、いつも一緒に仲良くしてたので深くは考えてはいませんでした!
結果、仲良くなった子ならなかった子も含め5人中4人が今はこの世にはいません。この子達が私の人生に与えてくれた影響は凄く大きいのですが、10年前だとまだそんな事も予想していませんでした。

ただ、ひたすら足が動きますよーにショック!歩けるようになりますよーに!
と将来どーしたら良いんだろう…?
と思い悩む日々…

そして、もう片方も手術しなければいけない雨そうなると就職はどーなるんだろ…?

そんな中、父親から一言
「大学受験しろ!!!」と言われました。
大学生なら夏休みもあるから手術は夏休みを利用して出来るし時間の融通も効くから…!
「今の専門学校の単位を利用して編入学しろ」と言われました。

変化も怖いし勉強なんて出来ないし
「嫌だ!」と言いましたが、じゃぁどーするだ???と言われ腹を括り2004年の11月頃から2005年春の入学を目標に勉強を頑張り初めました…


私にとっての10年前は人生の分岐点でした。


美容師を辞め、今まで出会った事の無い人達との出会いを経験し、経験するはずも無かった出来事を経験し、新たな道を進むしかなくて進もうとしかけたそんな年でした!

そして、奇しくも今日5/25は私が調度初めての手術をした日!!!
10年前の今頃はベットの上で下半身の感覚が無い事、その理由を説明されて心配過ぎて泣いてるお母さん…。
痛くて仕方なかったことを思い出します。

ただ歩けるよーになることを望んでたあの頃からすると、今の私は幸せ過ぎですラブラブ


よく分からないけど色んな事に感謝します音譜





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