北海道マラソン歓走記~去年の私はどこへ行った? | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 不思議なもので、サロマの後、2ヶ月もの長きにわたって膝痛に悩まされてきた。しかもいつもの右膝ではなく(右膝も痛みはあったが、走れないほどではなかった)左膝。しかもこれ、性質が悪いことに、普段は全く痛まないのである。ところが3kmも走ると痛みだし、あとはもうずっと痛みは消えてくれない。ところが走りをやめるとまたぴたっと痛みが引いてしまうのである。


 常時痛いのであればもっと早く病院へ行く気になったものの(何度か行こうと思ったのだが、普段は痛くないので痛む場所を正確に特定することも難しかった)、行かないまま1ヶ月半が過ぎ、行ったのは8月中旬近くなってから。結局7月の走行距離はハーフのレースを入れて53km、8月に至っては25kmという状態で本番を迎えたのである。


 そう考えると、本番で29kmも走れたのはたいしたもんだ・・・と言っても空しいだけだなぁ。


 それはともかく、北海道マラソンが終わったとたんに何故こんなに走れるのだろう?日曜日にレース、その後2日休んだだけで、10kmあまりの距離を5分半を切るペースで走れている。私が練習でキロ6分を切って走ることは滅多にない。それこそ北海道マラソンの直前に、キロ5分半のペースを体に覚え込ませるためのペース走をするときくらいだ。それなのに今は、最後に流しまで入れたりなんかして、まるで人が変わったみたいだ。


 ある意味、リタイアが刺激になっているんだろうね。今だって右膝はかなり痛い。でも走れないことはないから走っている。月末の函館ハーフに向けて、ゆくゆくはキロ4分台で練習したいと思っている。


 リタイアがバネになっていることは確かだが、このリタイア、決して屈辱のリタイアでないことだけは言っておきたいと思う。3時間そこそこの人がこの大会でリタイアしたら屈辱かもしれない。でも私はそんなランナーじゃない。これまでの10回のフルマラソンでサブフォーは半分の5回。しかしベストは50分台で、いずれもギリギリのサブフォーである。つまり実力を出し切ったときに完走できるのが、私の北海道マラソンなのである。


 だが、屈辱ではないが、やはり無念である。この無念を晴らすために、リタイアをバネに走り続けたいと思う。


 さて、衝撃のミノルトトさん リタイアの場面を見た私は・・・


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 ミノルトトさん のリタイア。これは私には大きなショックだった。ともに一昨年の北海道マラソン初挑戦。その時は互いに実力不足と周囲から目されていながらも、北海道マラソンへの思いは誰にも負けないと熱い走りをし、ともに完走メダルを手にすることができた。

 私はこのとき、完走メダルをかけられると感極まってしまい、人目をはばかることなく号泣した(これがチーム59のスタート)。それをミノルトトさん の仲間の方が目撃していたようで、このことがきっかけとなって交流がスタートした。


 昨年もまた互いに関門との熱いバトルを繰り広げ、ともに3時間50分台(しかも後半)でのゴールを果たした。参加資格となるタイムも3秒違いのミノルトトさん のリタイアは、まるで自分がリタイアしたような錯覚を覚える衝撃的な出来事だった。


 こわばった表情になってしまった私を救ってくれたのは、今年も平岸小学校のマーチングバンドだった。昨年までは5km地点の手前だったが、コース変更により10km手前となった。これは何を意味するかというと、演奏時間の増大である。5km手前であれば、先頭から最後尾までの時間はせいぜい10数分である。しかし10km手前となると、20分~30分に及ぶ。昨年よりも気温が上がっている炎天下での演奏。かなり負担が大きいに違いない。私は今年も彼らに手を振り、「ありがとう」と大声で叫んで通過した。


 10km地点の通過タイムは55分40秒。関門閉鎖時刻まで1分20秒しかない。昨年と比べてどうなのだろう?


 実は今回目論んでいた作戦は(昨年と同じなのだが)「去年の私を追いかけて」作戦。手に昨年のラップタイムを書き、昨年の自分をペースメーカーにしようという作戦だ。ところが・・・書き忘れた(泣)。10kmで2分くらいほしいと思っていたのだが・・・。(確認すると、昨年は2分13秒前の通過だった)


 10kmの給水では、やはり奥のテーブルで水を取れた。カーボショッツを口の中に流し込み、水を飲む。カーボショッツの味も、事前に試した味よりはましに感じた。


 いつも通りに沿道の声援に応えながら走る。声援に応えることで、自分の気持ちを奮い立たせて元気をもらう作戦。また、不特定多数の人を応援している人から、私だけを応援してもらう作戦。これでこの下りは無理なくペースアップを図る。


 しかし、結果的に見るとここでも思ったほどペースが上がっていなかった。ちょうど昨年でいうと5km以降の部分が、今年の10km以降となるのだけれど、昨年はここで一気にペースが上がっている。昨年の5km関門通過後は、5分17秒、5分13秒、5分19秒と上がっていた。しかし今年の10km関門通過後を見ると、5分28秒、5分29秒、5分30秒と、下りとは思えないペースだ。やはり体が、あるいは足が思うように動いていなかったのかもしれない。


 13km付近でけーぜさん とぴっぽさんに追いついた。けーぜさん には、前日も「イーブンペースで完走するからついておいで」と大きなことを言った私。このあたりでは、まだまだ言葉通りの走りをできると思っていた。


 昨年は一度中島公園の前を通過し、「帰ってくるぞ!」と再スタートの気分だったが、今年はそのまま進み、昨年は終盤の第2折り返しのコースとして使われた南郷通へ出る。そして南一条大橋を渡る。


 昨年は第2折り返しを回ってきて、この南一条大橋手前が39km地点だった。時間的に40km関門は大丈夫と思ったとたんに足が止まり(実は私も同じ経験してたんですよ、ますたー)、この橋を上るのに大変な思いをした。しかし今こうしてみるとどうってことのない上りだ。


 南一条大橋を渡っていると、前方から救急車のサイレンが近づいてくる。「誰か倒れたな」とぽつりとつぶやくランナーがいる。果たして橋を渡り終えると、ランナーは右に寄って走るよう指示され、あいた左車線に救急車が止まる。歩道上には人だかりができており、チラッと見えたナンバーカードから女性ランナーが倒れていたようだ。こんな序盤から・・・厳しいサバイバルレースとなっている。


 このあたりにはkakusanのえりママが59と書かれた看板を持って立っているはず。そうやって沿道に知っている人の顔を探しながら走るといくらか気が紛れる。やがてえりママを発見。大きく手を振って通過する。


 15km地点を通過。タイムは1時間23分04秒。関門制限時間まで1分56秒。まだ2分の貯金が作れない。ということは、この5kmは下りであるにもかかわらず28分近くもかかってしまったことになる。(正確には27分24秒かかっていた)


 いったい去年の自分とはどのくらいの差がついたのだろう。致命的な差がついてしまったような気になり、かなり焦っていた。しかしその割には足が動いていない。


 実際のところ、去年の15km通過タイムは1時間22分28秒。今年より36秒早い。しかし5km関門での差を考えると、それ以降はほぼ似たようなペースで走っていたのだ。考えてみれば昨年も、その前年よりはずっと1分前後の遅れで走っていた。しかしこれも最初の5kmでの1分遅れをそのままキープしてのもの。だから「このペースなら大丈夫」と思いながら走っていた。そう考えると今年だって何も焦る必要はなかったのに・・・。


 目標としていたのはキロ5分30秒ペースであり、おおむねその通り進んでいるものの、気持ちの上では「こんなはずじゃない」という思いが強かった。


 15kmを過ぎてからは5分36秒、5分34秒、5分37秒。微妙に想定よりペースは落ちている。5分36秒ペースならば5kmを28分。このラインがボーダーだ。あとちょっと速いペースで走りたいと思ってペースを上げたつもりになっても、どうしても5分30秒を切ることができない。


 naviさん をとらえたのもこのあたりだった。20kmの手前でとらえるのは洞爺湖と同じパターン。このままあのときと同じようにペースを保って行ければいいのだが・・・。


 18kmを過ぎて北24条通りに入る。私が学生時代に住んでいたのは北23条東2丁目。このあたりは私の縄張りだ。とは言っても、20年前とはすっかり景色も変わっていた。


 創成川通りを越えて、北24条の繁華街に入る。このあたりは最後の駅前通に次いで観客が多い場所だ。私にとっては最高のエネルギー補給ができるポイントである。


 大勢の声援に応えながら走っていると、見知らぬ女性からも「Ogamanさん」と声をかけられる。CHOCOさん だったようだ。他にもスタート前にもお会いしたトン子さん も娘さんと共に応援してくれていたし、反対車線の方からも「Ogamanさん」と名前を呼んで応援してくれる方(あれは誰だったんだろう?)がいたりした。


 20km通過タイムは1時間51分ちょうど。関門閉鎖までちょうど1分だった。5kmのペースも27分56秒。徐々に落ちてきているのが非常に気がかりだ。いったい去年の私はどんな走りだったろう?私は徐々に自分を見失いつつあった。(つづく)


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 今日の練習内容


 2日間の練習で疲労残り。ランオフ。明日は少し長い距離を走りたい。42.195kmを走ろうか?


 それにしても、レース中はゴールまでの強い意志を持っていたつもりだった私。体が動かなくなるまで走りきったつもりだった私。でも1週間近く経ってみると、それが本当かどうか疑わしくなってくる。自分はもっと早くから、諦めの気持ちで走っていたのではなかろうか?20kmを過ぎて足が動かなくなったのは練習不足と言っているが、練習をしていても20kmを過ぎるとつらくなってくる。そこからが粘りどころなのに、粘ることなく諦めてしまったのではないか?そんな思いが日増しにつのってくる。


 今となっては本当のところはわからない。けど、このリタイアを無駄にはしたくない。