尾張みやび会

 

   尾張みやび会は、常滑市内の雅楽演奏団体で、雅楽奉仕者の育成を目的に発足しました。主な活動は、寺社での奏楽ですが、市内小学校の音楽の授業や国際交流活動、老人福祉施設で訪問演奏など、「心を込めて奏楽する」ことを目標に幅広く活動しています。

 

「越殿楽」(えてんらく)

   

盤渉調「越殿楽」            平調「越殿楽」残楽三返」1

1  「越殿楽」(えてんらく)

 古くは唐の宴楽で用いられていたとされます。中学校の音楽鑑賞の教材としてこの「越殿楽」(「越天楽」とも書く)が取り上げられています。三部形式のよく整った曲で、雅楽の曲の中では一番知られている曲でもあります。今でこそ演奏会で多く聴くことのできる楽曲ですが、平安時代ごろは演奏される機会は限定的で、法要や講式などの仏教行事での演奏記録が多く残されています。

越殿楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんべん)

2 「越殿楽残楽三返」とは、越殿楽という曲を残楽の方法で三回繰り返す、という意味です。

残楽三返という演奏法は、管絃の演奏を楽しむために生み出された特殊な演奏法で、平安時代に宮中の御遊びで行われていました。特に筝の演奏技巧を披露し賞するためであり、篳篥はあくまでも筝の演奏を助けるためのものであると、江戸時代に書かれた『楽家録』に記されています。

 演奏方法は、まず笛の音頭が一人で吹き始め、普通の管絃の演奏と同じ手順で、打物、笙、篳篥、笛、琵琶、筝が加わり、越殿楽の曲の一返目を演奏します。一返目が終わると打楽器と笛、篳篥、笙の助管、及び琵琶の助絃は演奏を止めます。

 二返目は笛、篳篥、笙、琵琶の音頭の一人ずつと筝だけが残り演奏を続けます。この二返目の途中で笙が止めます。

 三返目の始めのほうで笛が止めます。ここから篳篥と筝と琵琶の演奏となり、筝は普段の合奏ではしない輪説という変化に富んだ手を奏します。

篳篥は筝の演奏の合間を縫うようにメロディーを断続的に演奏します。やがて篳篥も琵琶も止めて筝だけの演奏となり、最後は主筝一人が残り終わります。

 

   

平調「越殿楽」残楽三返」2        「盤渉調」と「平調」の説明

   「越殿楽」は平調という調子(洋楽で言うところの主音の宮音がミの音)、黄鐘調(宮音がラの音)、盤渉調(宮音がシの音)の曲があります。その違いについて音を聴きながら解説していただきました。

 

舞楽「抜頭」

   

 1 【曲の由来】

 天平年間(729~749)に、林邑僧仏哲(りんゆうそう・ぶってつ)により、わが国に伝えられたものです。

 猛獣に親を殺された胡人(こじん)の子が、山野にその猛獣をさがし求め、ついに親の仇を討ち、歓喜する姿を模したものといわれています。また、一説には嫉妬に狂った唐の妃が髪をかきむしる姿を舞にしたともいわれています。

 この舞は、もともとは南都芝家(なんと・しばけ)の舞と言われています。

2 【装束について】

 装束は、左方も右方も同じです。裲襠(りょうとう)の文様が、抜頭の場合は前面と背面に二個の八藤の丸紋が付いています。周りを取り囲む毛縁(けべり)は、赤系でなく、多くは緑系か茶系の色です。

 その下に着る袍(ほう)は、多くの走り舞で使われるものとほとんど同じです。

 袴(はかま)は、裲襠の下地の文様・紅地に唐織物です。

3 【面について】

 面は非常に誇張した顔つきをしています。目は大きく、眉(まゆ)は大きく上向きに跳ね上がり、鼻は大きな団子鼻のものや鷲鼻のものがあります。口はへの字に歯をむき出しにしています。面自体が、強くすさまじい動きを持っています。髪は、絹糸を縒(よ)り紐(ひも) にしたものや、馬の毛を植え付けたものなど、様々です。