その11
44時間戦えますか?



日々のブログからは逸脱しますが、ずっと書き溜めて下書き保存にした記事があります。


あまり良い内容ではないのですが私が今の場所に住むことになるまで。


ようやく気持ちの整理がついてきたので少しずつ推敲しながら公開していこうと思います。



死後処置のためいったん病室を出ました。
だいたい1時間かかるとのこと。
病衣では帰れないし、突然のことで準備もできてません。
とりあえず病院は有償の寝巻きなら準備できるとのことなので後で考えますかね。
ちなみに寝巻きっておばあちゃんが着るような浴衣タイプのものです。

その間にまず寝台車の手配。母親の時にも依頼した地元の葬儀社に依頼することにしました。
スマホで番号を検索。ほんとうに役に立つ。
14年前に母親が亡くなった時は公衆電話の前で電話帳開いて探してたっけ。

自宅に安置するのは厳しいので斎場の霊安室に安置で話はまとまりました。
自宅に安置すると隣組やらの関係で人の出入りが激しくなるのですが片付けもできていないのでね。

それから親戚へ連絡。

ちなみに慌しすぎて単身赴任先から戻った弟といつ合流したのかも覚えていません。

死亡届の受理も無事に終えました。

受付のおじさん、入院手続きの時に「(入院)長くなるんですか?大変ですね」って言っていて、「いいえ 危ないので」って言ってたのになかなか察してくれなくて。
死亡届受け取りに行ったら「気付かんで変なこと言ってすいません」って平謝りされたよ。
ここのシステムかおじさんの好意かはわからないけど死亡届のコピー5枚くらいつけてくれてました。

死後処置が終わり寝台車到着まで病室で待機。
顔のハンカチを外すと目が見開いたままなのが嫌でした。
閉じさせても開いて来るのだそう。その通りでした。
なので葬儀社到着まで瞼を押さえておくことにした。

ほどなくして葬儀社のストレッチャーが入ってきました。
おそるおそる手を外してみると目はきちんと閉じられていました。

この病院は地下の入り口から退院するとのこと。
存在は知っていたけど関係者以外は使用できないと言われているエレベーターへ。
家族と医師、看護師で葬儀社のスタッフが押すストレッチャーに続きます。

父親はそのまま寝台車に同乗。
私と弟は医師と看護師にお礼を言ってから寝台車を追いかけることに。

「T先生(前回入院の担当医)に申し訳ないな、せっかく助けていただいたのに。よろしくお伝えください」、と言うと医師は「そうだったんですね。僕はT先生の後輩に当たるのですよ。伝えておきますね」と。

警備員にドアを開けてもらい病院を出たのは明け方6時過ぎでした。