寒暖差アレルギー&黄砂飛来で体調がすぐれません。

必然的に頭の回転も鈍く(笑笑


大阪府は公立高校の入学試験ですね。

来年は受験生の親としてヤキモキしてるのでしょうか??


遡ること三半世紀(造語)ほど、私が受験生だったころ。

中学時代はとにかく勉強が嫌い(学校の先生が嫌い)で、反抗期もあって授業をボイコットしたりと若気の至りを尽くしていました。


そんなこんなで迎えた中3の進路懇談で告げられたのは


このままでは

行く高校がありません


とりあえず勉強とやらを始めることになりました。

幸い、書道教室の先生の娘さん(旧帝大生)に英語と数学を見てもらえることになったのが救い。

それ以外の教科は自力でなんとか。


そしてどうやらこうやら、偏差値若干低めの高校を受験できることになりました。

やればできたのか??


当時大阪は9学区制度でした。

併願の場合は私立に合格していないと(滑り止め)、安全圏でもランクを下げてしか受けさせてもらえないという風潮がありました。たぶん高校浪人防止のためでしょうね。


私に提示された私立高校は2校。


地元から通う子が多いA

Aの1.5倍の通学時間を要するのと若干校則が厳しいB


偏差値的にはA<B、過去の受験実績はAの方が多いのですが、どうせ行かへんしーあんまり地元の子いてないBでええわーと適当に受験校を決めた私。


しかしこの選択で人生最大の過ちを犯したことに気付いたのは公立高校の合格発表の日でした。


と、書けば何が起こったのかはお察しいただけるかと思います(笑笑


絶対に受かると言われていたので周りの驚きも相当たるものでした。

同じ中学からの不合格の子も何人かいました。


私の人生計画では公立高校がダメだった場合、定時制工業高校の建築科に行くことになっていました。そして了承されていたはずでした。

なのに世間体うんちゃらかんちゃらで滑り止めへの入学を余儀なくされるのです。


もうお先真っ暗でした。


だって


通うの遠すぎるし、嫌いなあの子もあの子も専願で入学決まってるし、女子校嫌やし、制服嫌やしetc...


いいところなんて何一つ見つからん!!

後悔の高校生活でした。




子供には同じ過ちを犯してほしくないので、長男の受験時には「行きたいと思う高校を選ぶように」と言い聞かせました。

そして見つけた高校は専門学科のあるところ。

自宅からはかなり遠いのですがここならやりたいことがあるから通えるのことで決定しました。

そして中学校から確認を入れてもらったところ、関連資格所持の関係で「専願なら特待生入学できます」という回答がありました。

公立受験を希望してたのかと思いきや、「じゃあ専願で行くー 行きたい学校やし、私立終わったらもう勉強せんでいいし」とアッサリ決めてしまう長男。


あれから2年経ちましたが、不可抗力による欠席以外はなく、毎日6時過ぎに家を出て元気に登校しております。

私の遅刻ギリギリ&適当にサボる高校時代とは大違い。


以上、適当に高校を選んだらエライことになった中年女性の話でした。

その15 つかの間の休息


日々のブログからは逸脱しますが、ずっと書き溜めて下書き保存にした記事があります。


あまり良い内容ではないのですが私が今の場所に住むことになるまで。


ようやく気持ちの整理がついてきたので少しずつ推敲しながら公開していこうと思います。




通夜の手伝いが来るまでに腹に何か入れておこうと子供達を連れてコンビニへ。

「俺はどんぶりとかでいいよ」
弟よ、いったい君はどれだけ食えば気が済むのか?

子供達はおにぎりや揚げ物を買う。
私は食べたいものが見つからない。というより食べたくないだな。おでん2つとサラダ買いました。

買い物から戻ると並べられていた机は1つだけを残して片付けられ、通夜用に椅子が並べられていました。
腰を下ろす場所がないので、祭壇のある和室の上がり框に腰をかけて急いで食事。
食べ始めるや否や通夜の手伝いの人が続々とやってきました。

通夜の30分前になると参列者がどんどん集まりだしました。子供達が使っていた控え室はお寺さんの控え室になるため全員部屋の外へ。

葬儀社のKさんからひととおりの説明を受けてスタンバイ。
弟よ、君はなぜそんなにリラックスして座っているのか?緊張感というのが全くないのよね。
後ろから張り倒してやりたい衝動にかられます。

読経が始まってすぐ最年少の甥っ子が愚図り始めました。
しばらくして義妹が甥っ子を連れて会場の外に出ましたが一時はどうなるのかとヒヤヒヤ。

「自分の両親がそばにいるなら子供を預けて来ればいいのに」いつもそう思う。
姉の入院中だってそう。
「子供が小さくて通夜に来れない」は免罪符になるかもしれないけど、通夜で子供が泣いたら「子供だから仕方ない」では通らない。
いつも都合が悪いと甥っ子を理由にするから余計に神経を逆撫でするのだ。
私の場合は預け先がないので何処へ行くのも子供連れだけど、騒がないようには躾けてるつもり。

通夜には知った顔ぶれがたくさんあった。
村の人、姉の旧友。姉がひいきにしていた美容室の先生やケアマネさん。
少し遅れてリハビリ施設のスタッフたちも駆けつけてくれました。
リハビリ施設を運営しているのは私の友人でもあるので、倒れた時の様子や生前の話をしていました。
リハビリ仲間のお年寄りが残念がっていたとのこと。

祖父の納骨で遅れた母方の親戚も到着。
「鶏肉が嫌いになった話」など昔話に花が咲きました。
母親は鶏肉が嫌いだったのですが、母親の末弟も鶏肉が嫌い。
理由は「隣人が〆て料理していたのを見たから」ということだって。私も母親にそう聞いた。姉弟で同じ光景みてトラウマになったんだな。

親戚が帰ると父親と私家族、弟家族のみになった。ようやく通夜振舞い用の巻き寿司を口にする。
寿司が嫌いな弟は些か不満げ。何か別のもの食ったか?

夜が更けて来たので父親を強制的に横にさせる。
きっと一番休まないといけないのはこの人だろう。

案の定弟も寝やがった。もう怒りを通り越して溜息しか出ない。

義妹と私夫婦で弟の愚痴タイム。
義妹もしっかりとした意見を言う割には何かが欠落している。それは常識かな。
「あの夫婦はどっちもどっち」という結論が私達の中で出た。
やっぱり苦労を知らない人間は大人になれていないのだ。

我が家はガス会社で電気供給のパターンでございます。


年末年始の休みもあり在宅時間が長くなると、各自個室に篭りますのでご覧の通り電気代がUPします。

例年、このシーズンと夏休みがピークで他はだいたい安定。


大人2人とと中学生以上の子供2人の世帯なので思うようにもいきません。


我慢して体調崩して病院に行く方がお金がかかるのだと言い聞かせて(笑笑


あっ次回もコロナのせいで在宅時間がーーー


その14 つかの間の休息


日々のブログからは逸脱しますが、ずっと書き溜めて下書き保存にした記事があります。


あまり良い内容ではないのですが私が今の場所に住むことになるまで。


ようやく気持ちの整理がついてきたので少しずつ推敲しながら公開していこうと思います。




帰宅後、シャワーを浴びて家族で明日のスケージュール等を相談。
日付変更線をかなり過ぎてようやく横になれました。実に44時間ぶり。

朝食の買い物がてら、電話連絡しかしていない職場へ挨拶に行きました。
夜勤の代打も決まっているとのことで一安心。

普段着で出向いて着替えの予定でしたが、時間がないかもしれないと判断。フォーマルで家を出ることに。
次男を後ろに乗せて今日もスクーターで向かいます。

到着後、買っておいたサンドイッチを長男次男と3人で分ける。食欲も出んわー。

精神的な疲労が限界だったので面倒なやり取りは弟に丸投げすることに。
アレが必要、コレはこうでないといけない、金絡みのやりとりに辟易。金を出すのはウチなんだから黙ってろと言いたい。慣習というのは実に面倒であるのだ。

午後から納棺を行うので棺に入れる品を探しに弟と実家へ。
いざとなるとどれを選べばよいのかさっぱりわからないし、どこに何があるのかもわかりません。

愛用キャラのぬいぐるみ、愛用のクッション、愛用のパジャマ、帽子を探し当てるのが精一杯。少なくて申し訳ない。
でも本当に「入れてあげたいもの」が見当たらない。

バタバタしているウチに昼になりました。
曜日の感覚も時間の感覚も完全喪失。そりゃあそうだテレビも見ないから外界と遮断されているようなものだもの。

パンを齧ってみるけど喉の通りが悪い。
腹が減ったを連呼し、常に何か食らっている弟の神経を疑ってしまいます。

通夜振る舞いの食事数、葬儀の精進揚げの食事数をまとめたりしないといけません。
重要な葬儀の焼香順。ぬかりないようにやらないと。

そしていよいよ納棺。
体格が良いときちんと棺に納まるのか心配になります。案の定組んでいた指が崩れました。
「いよいよやな」と胸がキューっと締め付けられる。
遺体は死後硬直があるので持ち上げても身体が折れ曲がらないんですよね。まるでマジックのよう。

ふと思い出した「ロックダム~風に吹かれて~」が頭の中でヘビーローテーション。

許されるならALFEEの曲で送ってやりたかったな。

2週間も軟禁されてたらねー


病気じゃなかったのに


社会復帰がしんどくてー


目下やる気スイッチ行方知れず



ひとまず発症の危機は逃れましたが、喉がイガイガしたり、咳が出るたびにドキドキします。


「寒気するー」って思ったら気温が低すぎるだけだったり。


ぼちぼちリハビリしてこー。