マリウポルからのナディヤという女性の物語。
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#мариуполь #надежда
砲撃中の5階から2階へ道のりは、月への往復よりもはるかに長く感じられた。2月24日から私たちの街は異様な時間になった。殆ど動かない時間。退屈で恐ろしい時間。終わりのない地獄。
時々お互いに「今は何時?」と聞き合うことがあった。まるで違いがあるかのように。戦争が始まって2週間、今日が一体何月何日、何曜日なのかわからなくなっていった。寒い3月は、2月のように荒れていた。永遠の冬が始まったような気がした。
1日は、朝、昼、夜と3つある。その中でも夜が一番怖かった。暗くなるやいなや終わりのない砲撃の時間が始まった。
ラシストは、街が消耗するよう、そして、私たちを寝させないよう街を攻撃した。1秒でも寝かせれば、私たちが、怯えたネズミのごとく、日中水や食べ物を探し回り、どこかへ行ってしまうとでも思ったのだろう。
あるいは、ただ楽しんでいただけなのかもしれない。コンピューターゲームみたいに。まるで、自分たちが破壊している街や、ミサイルに打たれたマンションが、爆撃されている人たちが、現実ではないかのように。
私たちは、奴らにとっては、コンピュータゲームの中の人間のようだった。奴らは、笑いながら、殺していた。 私たちが生きていること、怖がり、傷つき、自分たちを救おうとしていたことなど、奴らはちっとも気にも留めていなかった。
モンスターだけが、ラシストのように生きた人間を撃つことができる。奴らは、毎日新しい種類の武器を使用していた。そして何千人もの運命を粉々にした。
最近、あるビデオを見た。それは、2人の男性によって車から撮影されたマリウポルの中心部の様子だった。 美術学校からトルゴワ通りまで。"果たして、ここで生き残った人がいるのか?こんなところで誰が生き残れるんだ?と尋ねた。
私もまだどうやって生き延びることができたのか、わからない。なぜ、こんなことが起こり得るのか。
ラシストがどのように街の喉に縄をかけたか知っていますか?
奴らは、いろんな方向から攻撃して来た。私たちは自分の地域に残り、地獄のような音を聞きながら、奴らが近づいてくるのを怯えながら待っていた。
近くの通りを爆撃したり砲撃していることは知っていた。「Z」の文字が入った戦車がミル通りを進むのを見ていた。 2つの車線にまたがる家は、永遠に眠っているようだった。人々は、空爆で倒壊したんだと言っていた。 そして、その瓦礫の下で、みんな死んでしまったのだ。
彼らのうめき声や叫び声は届いていた。でも、誰も助けることができなかった。その前に、救援基地が砲撃されたからだ。 死者は国家緊急事態管理庁の建物の外のアスファルトの上に横たわっていた。近くの避難所には、まだ生きている人たちが隠れていた。
最悪の話を、ヴィティアというお爺さんが語ってくれた。彼は、私と母を保護してくれた人の隣人だった。ヴィティアは街を歩き回り、すべてを自分の目で確かめた。チェリョムシキという地域の死体を、2階建ての家の墓となった穴を、切断された手足を。
私たちは、これを聞きたくなかった。毛布で頭を覆えば、悪にも気づかれず、通り過ぎてるだろう。私たちは、戦争に対して毛布をかぶったのだ。
しかし、ミサイルや爆弾が落ちてくることはない、と自分自身に言い聞かせた。「外で起こっていることは、すべて悪い夢なのだ。戦争は早く終わる。奴らが私たちの家に近づいてくる時間はないだろう。」と。
縄の締め付けが非常に早くなった。 ロケット弾が家の屋根を直撃し、周りのアパート群にも砲弾が襲って来た。飛行機が家の上空を通過し、空爆が行われた。隠れるところはどこにもなかった。
たとえ爆弾が落ちたのが道路の向こうでも、家は揺れたり壁が浮いたりする。まるで巨大なギターの弦が振動して揺れるように。それから自分の中のすべてが凍りつく。
この写真はマリウポルの様々な地域で撮影されたものです。私の街は今、こんな感じです。
今日も侵略者はウクライナを爆撃し、人々を自宅で殺し続けている。