<2012年1月7日の記事の再掲> 

 

 作家の村上龍さんは小説「希望の国のエクソダス」の中で登場人物の中学生に語らせる。「日本には何でもあるけれど希望だけがない」。日本社会が追い求めた豊かさ。半面、失ったものがある。それが希望だというのである。

 

▼しかし本当に豊かになったのか。

厚生労働省が発表した国民生活基礎調査では、2009年の「相対的貧困率」は16.0%となり、前回調査に比べ0.3ポイント上昇。結果を公表し始めた1985年以降、最悪の水準に達した。

 

▼誰もが豊かになると信じて疑わなかった戦後の日本社会、それが音を立てて崩れ始めている。

1割の勝者と9割の敗者が存在する極端な優勝劣敗社会。一度滑り始めると、どこまでも滑り落ちる滑り台社会。どうみても、まっとうな社会とは言いがたい。

 

▼社会学者の山田昌弘さんは、こんな現代日本を「希望格差社会」と断じた。

大本にはリスク化二極化の構造が潜んでいると指摘し、このまま放置すれば、社会秩序が危機に陥るのは目に見えていると警鐘を鳴らす

 

▼リスク化とは将来の生活予測がつきにくくなることだ。

これだけの努力をすれば、これだけのリターンが得られるという従来の経験則が通用しなくなる。努力と成果の安定した関係が一度崩れ始めると、元に戻すのは容易でない。

 

▼世の中にはリスクにさらされる一群がある一方、強者連合が存在するのも確か。

弱者がリスクを回避する方法は、ただ一つ。多くの人がリスクを引き受け、分散することだ。それには社会の合意と手助けがいる。

 

『山陰中央新報』 2011年12月21日付

 

<引用は以上>

 

 日本は豊かで幸せだと感じている人は、果たして国民の大多数を占めているのでしょうか。確かに、世界有数の経済大国だといわれていますが、国民は経済的に豊かだとは言い難い。これからますます国民の経済格差は広がり、福祉や医療の公的支援が今以上に必要となります。

経済的に豊かな家庭は、もはや半数以下になっています。しかし、その人たちが経済的に豊かだからといって、それが心の豊かさに直結しているとは限りません。

 

昨年末、カナダの世論調査会社が発表した幸福度調査は非常に興味深いものです。世界各国で幸せと感じる人が不幸と感じる人をどれくらい上回るかを比較した調査です。

結果は、1位は南太平洋の島国フィジー、2位はアフリカのナイジェリア。そして、最下位はルーマニア。日本はその中で中程度の結果でした。1位も2位も、いわゆる「先進国」ではありません。平均所得の低い国が、高い国を上回る例も多くみられます。

つまり、経済大国といわれる国でも、国民が幸せかどうかは次元が異なる話だということです。

 

1年ほど前に日本国内で調査したデータによると、「経済的な豊かさ」で幸せを感じられるのは年収800万円までで、それ以上になると幸福度は下降します。

「21世紀は心の時代」といわれてから20年近く経ちますが、心が豊かだといえる人は、国民の何割を占めているでしょうか。経済的に恵まれていても、心は寂しく空しいと感じている人は少なくないはずです。

心を豊かにするもの、それは「人と人とのつながり」です。人は人との心からの交わりによって心が豊かになり、心の糧を共有することができるのです。しかも、それは貧富の差を越えたところにあります。富裕層が自分たちさえ良ければと考えているなら、そこに真の心の豊かさは芽生えません。貧しくても心は豊かな人がいることが、それを証明しているといえます。くしくも東日本大震災で、それがハッキリと見えました。

 

自分がまず幸せであるということが最も大切です。ただ、その幸せは自分だけではなく、人と共有し、そこに喜びを見出していくことが、心を豊かにするということではないかと考えます。

 

すべり台社会