往く川の流れは絶えずして何とやら。
齢23にして時の移ろいと体の衰えを感じる今日この頃。
今は昔、京都の地にて鎖骨を砕かれてから、朽ちるように5年が経ちました。枯れ木に花が咲いたなら、またラグビーをすることもあろうかと、生きるでも死ぬでもなく過ごしていたのが、昨年の4月、桜の開花につられました。
ずっと、ウチはダメなチームだからと諦めるのが癖でした。いつまで経っても上手くならないドリフト、朝ジムに行ってきたのにやらされる筋トレ、いつのまにか仲違いをしている部員やマネージャー、半ば強制参加の飲み会。何とも理不尽でした。
それでも部活を辞めることができなかったわけですが、宮下さんから部のツイッターアカウントをもらったこと、澤さん幹部にビデオ係にされたこと、杉さんにたかりすぎたこと、平良さん・渡瀬さん率いる怪我人会、友竹さんに一緒に試合がしたいと言われたこと。どれも一片ですが、強いて理由を挙げるならばそんなところでしょうか。
そして、花咲爺さんからの一言、「宇野大先生がいればな(笑)」。口車に乗って一花咲かせてしまいました。
何とも下らないことに踊らされたものですが、それがまた幸せだったのでしょうか。
しばしば人生や芸事、技事は連綿と続く道に例えられます。道という概念は、老荘思想において、万物の本来あるべき自然な在り方を意味しています。仏教が中国に入った時に、これに当てはめ、六道、人間道という言葉が生まれます。そして、人間道を全うしたとき、つまり、人としての本来の在り方に近づいたとき成仏するのだそうです。
尺八の人間国宝である山口五郎師は、立てば歩くように、美を求めるのも自然の本能であると言いました。上手くなりたいと願い、決して届かぬ理想を追い、道を往き続けることは、本来備わる人の働きだと。また、これを普化禅師は「憧れ」と呼び、人が人の道を往く所以であるとしています。
やはり何かに一心不乱に取り組むこと、そうするに値するものがあることは大切なことのようで。そんな風に三昧の境地を逍遥することができたなら。
思うに、ラグビーとは一種の酔興みたいなもので、競技の性質のためか、妖しげな魅力を持っています。飛んで火に入る夏の虫の如く、一瞬の煌めきに惑わされ、逃げ水を追ってきました。昔から不器用な性質で、これと思うと一途になってしまいます。タックルができなかった日、ステップにキレがなかった日、それのことばかりで一日。そうやって出来ることを増やしてきました。入学したとき、某教授が、遊びと勉強、ONとOFFの切り替えをしっかりして楽しんでくださいと言いました。できるわけがありませんでした。自分は勉強は生れながらにしてできる質であったので、たまたま留年はせずとも済んだのですが、一時の興奮と引き換えに、様々な物を失ったような気もします。それでも不思議と後悔はないもので。悩み続けた日々も、切なくも懐かしく、愛おしく思われるのです。
先輩が自分と同学年だった時、自分が後輩と同学年だった時を思えば、親の心子知らずとでも言うべきか、何とも不孝をしてきたようで。怪我を言い訳にして好き勝手な振舞いをしました。それでもこの部は相も変わらずお人好しで、故郷のような心の拠り所を貰いました。西医体に来ると、夏草や 兵どもが 夢の跡 という芭蕉の句を思い出します。人の営みは儚く、いずれ、我々がラグビーをしていたことも何を残すでもなく忘れ去られるのでしょう。それでも、そうだからこそ、阪大医学部歯学部ラグビー部があって、ラグビーをしている人がいるということは、それだけで有り難いことのように思います。いつかはこのラグビー部もなくなるのかも知れませんが、それまで同じ道を歩んできた朋輩がいる。テストマッチの話をしながらパスをする人がいる。怪我して練習を側から眺める人がいる。筋トレルームでビデオを見ている人がいる。早朝箕面に自転車で向かう人が。
あっという間の6年で、色々なことが変わって行きました。こうして振り返っていると、しみじみと終わりが来ることを思い知らされます。一身に受けた恩を返すことはできたのか、犯してきた罪を雪ぐことはできたのか。そんなことが胸を過ぎる今日この頃。
そして同時に、数多の人に支えられて来た情熱に、しみじみと幸せを感じる今日この頃。


大阪大学医学部歯学部ラグビー部 宇野貴宏


最後はMr.Rugby、森君です。