ある習い事の教室では、子どもを連れてきてもいいことになっているので、私もよく2人を連れて行ってます。
今日はその後にムスメの習い事があったので、ムスメだけ連れて行きました。
いつになく子どもたちが多い教室にちょっと戸惑いましたが、3人目を産んだ人と4人目を産んだ人が新たに教室に入って、その子どもたちを連れてきたのだそう。
私は初対面の時というのが、とても苦手です。
特に、小さな赤ちゃんを連れているママが。
赤ちゃんを抱っこして、ニコニコ幸せそうにしているのを見ると
「あなたには私の気持ちはわかるまい。」
と、意味不明な気持ちになるのです
この気持ちの意味を解釈するのはめんどうだったので、なるべくそういう集まりには参加しませんでした。
でも、今日は敢えて考えてみた。
私はなぜそんな卑屈な気持ちになるのか…
普通の子に対するジェラシー?
でも、赤ちゃんは、普通に可愛いと思えた。
最近妊娠した友だちには、元気な子を産んで欲しいと思っている自分を再確認してみた。
私は、他人にも同じ苦しみを与えたいと思う人でなしではないと思う。
でも、初見のママさんと出産やら育児の話をするのはめんどうな感じがして、話したくないのです。
普通の(であろう)子を産んだママさんとは。
普通の子を産むことが、当然と思っているだろうから。
一番考えたくないことだけど…
私はまだ、ももたろを受け入れられていないのかしら。
確認するような気持ちで、家に帰って恐る恐るももたろの顔を見た。
あら、可愛い←親ばか?
また、私の顔を見ると、とろけるような笑顔をしてくれるのが、たまらなく愛らしい←どんだけ親ばか?
ももたろのことを拒否?
違ったわ。
溺愛してるかもしれない、私。
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幸せそうなママさんと赤ちゃんを見ると、
生まれたばかりでNICUに連れて行かれ、入院中に一度も母子同室することもできず、ダウン症と心疾患という未知のものに一人怯えて泣いて過ごした出産直後の真っ黒な気持ちが
フラッシュバックする…
これは、トラウマってやつか。
でも結局、泣いて過ごした日々は、私のダウン症に対する無知のせいだったことがわかっている。
ダウン症であることより、一人の人間としてゆっくりながらも成長しているももたろは、それほど普通の子と違うことはないとわかったはずなのに、なぜ
トラウマになってしまうほど、強く悩み苦しんだのは、出産直後のホルモンバランスの崩れもあったんだろうな。
もともと私は鬱気質。
ムスメの出産後も産後うつになりました。
ももたろの時なんて、産後うつにプラスしてダウン症疑惑と心疾患告知。
ダメージ何倍だったんだ?
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ダウン症の告知は出産後の早いうちにされることが多いらしいけど、医者は告知することをなんとも思わないのかしら。
がん検診とか、「もし異常が見られた場合は、告知を希望しますか?」って問診票に書かれてあるのに、
なぜ産婦にはそういう配慮なく、告知しちゃうわけ?
障がいに対する理解は人それぞれ違うし、障がいを持つ子を産む可能性は誰にだってあるのにね。
世間一般では、妊娠出産は病気じゃなくて、母子ともに健康で自然に産んで母乳で育てて、みんな幸せで感動的だと思われているけど、実は危険な状態の妊娠だってあるし、出産時に事故だってある。
なんで妊娠・出産は母親にとっても赤ちゃんにとっても命がけだってことや、健康で生まれることが当然だってことになってしまってるんだろう。
ダウン症については、世間にダウン症の人が受け入れられてゆけば、告知されてもショックを受けなくなるのかも。
「あーそうなんだぁ」くらいで。
できれば、「1000分の1の奇跡の子だ」なんて思われるようになったらサイコー
…理想論ではありますが。
仮にそういう世の中になるとしても、まだまだ先の話だろうけどさ。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
でも、結局はこのトラウマも、自分で自分の首を絞めてしまった結果だと、いくら頭でわかっていても、
心に深い傷を刻みつけてしまったことは事実。
それが小さな赤ちゃんと幸せママさんの組み合わせを見ると、フラッシュバックする…
私は、きっとこの先の人生、何年も忘れることなく苦しみ続けるのでしょう。
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