保育所の懇談会 | 徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~

徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~

  
2011年1月11日生まれの息子、ももたろはダウン症です。

先天性の心室中隔欠損+肥大型心筋症という合併症。そして喘息もち。

育児、ダウン症についてなど、思いつくまま書いてます。

前に懇談会に出席したとき、先生からももたろの話が一切なかった。



なので「先生、うちの子は?」と聞いてみたら、先生は「ももちゃんのことは後から個別に話をするつもりだった」と言われ、腹を立てたように話をされてしまいました。



以前に記事にもしましたが。



その後に所長にもクラスや担任の様子を聞いてみたら、担任もクラスもうまくいっていると思うけど、話し方が誤解を招くこともある担任なので、それとなく伝えておく、と言ってくださり



担任の先生とも直接話ができて、誤解も解けた、ということがありました。



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私としては、クラスの様子を話す時に、ももたろのことだけ皆さんの前で話してもらえずに、個別でというのは嫌。



加配の先生は、一応クラスに付く加配になっているけど、ももたろがいなかったら加配だってない。



それにももたろだってクラスの一員。
できないことも多くて、他の子の足を引っ張ることもあるだろうし、手伝ってもらうこともあるだろうけど、



親の私は、他の子供たちに感謝はしていますが、ももたろを恥ずかしいとか情けないと感じることはありません。



今回、新年度に新しく入った子もいるので、ももたろの話はしておくべきだと思い、懇談会に出席しました。



というのも、卒園間近にあったムスメからのいじめられてる発言から、先生方と話をする中で気付いたことですが、



仲間はずれにしたり、攻撃的な言葉で泣かしたり泣かされたりという、いじめみたいなことは、だいたいどの年代でも、年中クラスあたりから出てくるのだそうな。



そういうことを知らなかった私は…まぁ自分の経験を振り返れば良かったのですが…ムスメが嫌な思いをしていたかもしれないことに気づいてあげられませんでした。



だからって保育所を辞めることはできませんでしたが、話を聞いてあげることはできたはず。



私の、ムスメの保育所生活での大きな反省点です。



同じことは繰り返したくない。
でも、ももたろは自分から不平不満を伝える言葉は出せない。



だけど、ももたろから不平不満を言わないから、何をしても何を言ってもいいわけじゃない。



ももたろだって、不平不満は感じるのだから。
発達がゆっくりなだけで、人が感じる痛みや辛さは、同じです。



クラスにいるかどうかはわからないけど、いじめっ子のサンドバッグにされたくはないです。



新しい子がどんな子かはわからないですが、ももたろを変だと思ってしまう前に、親に話しておくべきと思ったのでした。


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さて懇談会で、新年度になってからのクラスについて話す先生は、ももたろのことも交えて話してくれて、ももたろもクラスの一員として生活している様子が感じられました。



…先生が気を遣ってくれたかな?
だけど、全く話題にも上らなかった去年より、ずっとクラスへの親近感が高まりました。




親の自己紹介は、時間がないので名前だけと言われましたが、事前に私から話すことで先生と打ち合わせてあったので、急ぎで少しだけ話しました。



ももたろは発達がゆっくりという障がいがあるので、このクラスに加配の先生がついてくださっていること。



だんだんとクラスのお友だちの成長の中で、ももたろが変だと思うかもしれない、変だと言うかもしれない。



そしたら、普通とは確かに違うことは教えてあげてほしい。



だけど、ゆっくりでも周りのお友だちのしていることを真似たり歌ったり、クラスのお友だちからの影響を受けて、ももたろは確実に成長しています。



病院や訓練が終わってから遅れてクラスに入ると、おともだちはいつも温かく迎えてくれます。いつもありがたく思っています。



こんな感じだったかな??
少し前の話だから美化してるかも…



先生がその後付け足してくれました。



さっき、ママはももちゃんが変と言われるかもと言ってたけど、○○ちゃんは「ももちゃんはゆっくりできるようになるんだよ。」と言ってました。
きっと、お家でもママがそう話しているんでしょうね。



お子さんだけじゃなく、お家の方もももたろを温かい眼差しで見てくれていること、本当にありがたいことです。



大人でも子どもでも、偏見を持つ人もいれば持たない人もいる。



ももたろを通じて、「偏見を持たない」という人の優しさを感じました。



成長にともなって、だんだん生意気に、そしてこどもらしい残酷さも出てくるこの年代。



放置されず、でも守られすぎず、自分でできることを少しずつ増やして成長してほしいものです。