"L'Enfer(Hell)"(邦題「美しき運命の傷痕」)を見ました。
クシシュトフ・キェシロフスキとクシシュトフ・ピエシェヴィッチによるダンテの神曲に基づく 3部作のうちの一作 『地獄』 をキェシロフスキの死後、ダニス・タノヴィッチ監督が映画化したもの。
とのこと。

これは見て良かったです。
とても豪華で、そしてあまりにも美しく、深い映画でした。
豪華なキャストたちの何気なさ。画面の美しさ。後に残る余韻(?)の深さ。
それぞれが憂鬱な緊張感に圧倒的な説得力を添えていました。特にこんなにも映像に魅せられた映画は久しぶりでした。良かったー。

全体に謎解きを帯びた展開になっているのですが、最後まで見終えた後も余韻に留まらない "謎" が残される感じもあり、解釈に余地を残した作品だと思います。
そこが良い。

この先ネタバレします。

美しき運命の傷痕 [DVD]/エマニュエル・ベアール,カリン・ヴィアール

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最後の場面で、キャロル・ブーケ演じる母親が "Je ne regrette rien." と "言う" その心が知りたいと思いました。
納得したいのではなく、ただ知りたい。
みんなはどう思っているんだろう? と amazon.com や.fr でもレビューをチェックしましたが、この部分について言及しているレビュワーは居ませんでした。それ以前に、エマニュエル・ベアールが "L'Enfer" とタイトルされた映画 二作品に出ているために、もう一方の "L'Enfer" についてのレビューが誤って多数投稿されていてぐちゃぐちゃでした ^^;

ところで、この大切な部分の字幕が 「それでも私は・・・」「何も後悔していない」 とかそんな表記になっていましたが、これはいただけないと思いました。
なぜなら、キャロルは「それでも」と言っていない。
単に「私は何も後悔していない」 と言っただけ。
「でも」とか「それで」とか相手の言葉や発言趣旨を受けて、あるいは引いた形で 「応じる」のと、自分のなかの結論だけを一方的に「言い切る」のとでは違って来ると思うんだけどなー・・・
例えば、「知らなかったことはあなたの罪を軽減しない。あなたは脱税をした、脱税王☆だ。」と言われた脱税王が 「それでも私は、何も後悔していません。」 となると、「脱税したことも、脱税王に呼ばれるに至る所業の数々も、私は何ら後悔はしていません。」という意味にも取れますが、「何も後悔していません。」だと、「脱税」や「脱税王」という相手の言葉に耳を貸すこと自体を拒んでいる姿勢以外には掴みどころがないものになる。
言葉は大切だと思う。
台詞は映画芸術の大切な要素だから、脚本にない、あるいはキャストが口にしていない言葉を字幕翻訳で好きに言わせるのはだめだと思います。
それはわかりやすさとか国語的な良し悪しの問題じゃない。

それにしても。エマニュエル・ベアールは頭の形がキレイで、フテっても、臥せってても、俯いてても、髪を振り乱しても美しい。不幸でも、惨めでも、取り乱しても乱れ切らない美しさがある。
一点の美しさは時に(もちろん彼女の美しさは他にいーっぱいありますが・・・ )傍目には「矜持」にも映るもので、そういう意味で形(シルエット、figure な意味の「形」です。)は大事だとあらためて思いました。
様になるとか、かたちになるとか、そういう要素のすごみとでもいうのでしょうか。
姿勢よく、かたち良く、そうありたいものだと思いました。