長崎は今日も雨だった〜2日目
長崎駅前
長崎駅の観光案内所で集合です
バスのコースは、原爆資料館からスタートしました。
資料館では、車椅子を借りで見学しました。
11時2分原爆投下の時間で止まった時計
浦上天主堂を惨状
ファトマン長崎原爆
惨状を見させていただきました。
館内は、ワンフロアーになっているので、車椅子でも見やすかったです。
たくさんの折り鶴がありました。修学旅行で訪れる学校の折り鶴が多くありました。
次は、平和公園です
平和の像に、鳩がとまっていました。
修学旅行の学校が、献花していました。
そして、レイの花がありました。外国の若者の集団がいましたので、その方たちかと思いました。
世界の人たちに、訪れてほしい場所です。
「長崎の祈り世界ヘ鳩よ飛べ」
バスガイドさんが、永井博士の『この子を残して』の詩の朗読をしてくれました。
【うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、しばらくしてから、
「ああ、……お父さんのにおい……」
と言った。
この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか!
母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?
枯木すら倒るるまでは、その幹のうつろに小鳥をやどらせ、雨風をしのがせるという。重くなりゆく病の床に、まったく身動きもままならぬ寝たきりの私であっても、まだ息だけでも通っておれば、この幼子にとっては、寄るべき大木のかげと頼まれているのであろう。けれども、私の体がとうとうこの世から消えた日、この子は墓から帰ってきて、この部屋のどこに座り、誰に向かって、何を訴えるのであろうか?
――私の布団を押し入れから引きずり出し、まだ残っている父のにおいの中に顔をうずめ、まだ生え変わらぬ奥歯をかみしめ、泣きじゃくりながら、いつしか父と母と共に遊ぶ夢のわが家に帰りゆくのであろうか? 夕日がかっと差しこんで、だだっ広くなったその日のこの部屋のひっそりした有様が目に見えるようだ。私のおらなくなった日を思えば、なかなか死にきれないという気にもなる。せめて、この子がモンペつりのボタンをひとりではめることのできるようになるまで……なりとも】
マイクを持って、静かに語るガイドさんは、長崎の祈りを観光客に伝える使命を持っていると、感じました。
続けて、【長崎の鐘】を歌いました。
目頭が熱くなりました。
次は出島です。
孔子廟
修学旅行生の集合場所になっているので、若い声があっちこっちに聞こえました。
坂道の多い街ですね~
今日も、雨だったよ~
修学旅行ができる平和な時代を守りたいと、じじばばは肝に命じましたよ。