みなさまお久しぶりです。

marbleです。

大変ご無沙汰しておりました。
ご無沙汰しすぎて、記事のアップが前後しちゃっております(汗

こっそり入れ替えたりなんかして(ノ∀`)


少し遅くなりましたが、震災から一年経ちました。

あの日は金曜日。

今年は日曜日でした。慰霊祭の模様をテレビで見ながら
私も黙祷をしました。

父を亡くしてからも一年、先月一周忌も無事終えました。

人生というのは無常です。

誰にでも同じように時間は流れていて、それぞれが
与えられた属性に従っていろんな環境で生きています。

だけど、突然の災害で命を失うこともある。

それが生まれたばかりの赤ちゃんでも、婚約したばかりの
2人でも、お家を建てたばかりの家族でも。

天災はその人のこれまでの人生やその人の事情なんて
まるで無視して命を奪ってしまう。

残された人は、頑張っても何に頑張ったらいいか途方に
くれてしまう人もいると思います。

たとえ生きながらえたとしても、昨日までの生活に比べたら
激変してしまいました。

一年前と違うのは、危機管理能力が上がったことと、
みんながどこか傷を負ってそれでもそれを受け入れるしか
ない人たちが本当に大勢いる社会で生きているという自覚です。

実は、母が今入院しているのですが、父を失って、残された者
たちだけでこの一年頑張ってきて、
ついに病気になってしまい気落ちしている母に、看護士さんが

「がんばろう。がんばるしかない。私も家流されてんのに
こうしてるんだから」

とさらっと言って笑顔で次の病室に行ったのが印象的でした。

人に優しくしようとか、助け合おうとか、絆とか、心を一つにする
言葉がこの一年すごく飛び交いましたが、
こちら被災地では(というのもはばかれるほど復興が進んでる
仙台ですが)、
沿岸部の方と知り合ったり、話を聞いたりすることがやっぱり
多いです。
被災地に住んでいる者としては、
「そういう人たちがいる」ということを受け入れることが当たり前の
生活をすること、このシンプルな考えに思い至っています。

福島にも行ってますし、こないだは温泉にも入ってきました。
東山温泉、飯坂温泉、すごくいいところでした☆

大丈夫なところ、大丈夫じゃないところ、ちゃんと判断して
生きて行く、それがここに住んでいるわたしたちの基本姿勢かなと
思ったりしています。




今日元気でも明日生きている保障なんか誰にもありません。


それを思い知る一年の区切りの日に改めて感じました。