こんばんは。
大変ご無沙汰しておりました。

marbleです。

この度の熊本地震で被災された皆様、心から御見舞い申し上げます。

今日も震度5強の余震があったようで、4月15日の前震から始まり、
本震に続いて今もかなり大きい規模の余震が続いている状況で、
被災されている方々は心が折れそうになっているのではと
心中お察し致します。

音楽教室をされている先生方も、ご無事だったでしょうか?
私も5年前に東日本大震災で被災しましたが、
生徒さんのお母様達と思い出しますよね、、と
心がどんよりとしている日々です。

自分達の時は、4日間電気が止まっていたので、
自分達のことがテレビでどのような報道がなされているか
全くわかりませんでした。
携帯も基地局がやられたので、携帯など役に立たない、
と早い段階であきらめることとなり、
世間と寸断されたような心持ちで自宅避難しており、
ラジオと新聞とご近所のコミュニティのみが情報源でした。

今回、いろいろ調べてみると、避難所に物資が行き渡らない、
物資を積んだトラックが、先にきていた報道関係者の車両が
場所を占領していて運搬ができない、
ヘリコプターの音がうるさくて緊急放送が聞こえないなど、
こないだの震災で何も学んでないのか!
と、メディアの報道の仕方にあきれてしまいます。

避難所に今必要とされているもの、炊き出しをどこで
やっているかなどそういう情報を発信するには
メディアは大変ありがたいものですが、
被災者の方にとって必要な報道を!と願ってやみません。

こんなに大きい余震が続くと、復旧作業も遅れていってしまうので
早く余震がおさまってほしいですね。

物資がなかなか届かないのが非常に歯がゆいですが、
高速も鉄道も空路も復旧されていないこの状況は
どうしても物流が遅くなり、
その待っている間というのは、この生活いつまで続くの?
と気が遠くなる気持ちでいらっしゃる方が多いと思います。

渋滞もしますし、ガソリンを入れるのに行列を作ったり、
スーパーの買い出しも制限があったり、水汲みに行ったり、
今日食べる食料を調達することが一日の仕事になります。
明日のことが見えない苦しい日々だと思います。

ですが、日本中から支援の動きがもう始まっています。
宮城県からの支援の一部をあげますと、

東北電力さんが高圧発電機車、高所作業車が熊本に
 向かいました。

石巻赤十字病院からも災害救護班が現地に行っています。

「東日本大震災の時の恩返し」と自衛隊が東北から
 1700人派遣されています。

被災者の心のケアに取り組む災害派遣精神医療チーム
 (DPAT)が派遣されました。

物流システムの構築や仮設住宅の整備などの救護活動を
 後押しするスタッフも派遣されています。

宮城県のHPはじめ、他の自治体のHPでも義援金の窓口が
 ありますし、街のあちこちでは義援金の募金箱もたくさん
 設置されています。

アンテナショップでは、お買い物をして支援しています。


日本全国からの支援がどどーっと熊本、大分のみなさんを助けに
行きます。

実際、私たちのときも、本当に全国から復興支援の
手助けを頂きました。
ガスを開通させてくれたのは四国ガスさん、
区役所でり災証明の手続きでお世話になった、
川越市役所の職員の方、今でも覚えています。

ですから、どうか気持ちを強く持って、
周りの方と励まし合いながら乗り切れますように、
一日も早く平穏な日を取り戻せますように
御祈り申し上げます。

また、住宅など被害があった方は、落ち着いてからでいいので、
「り災届証明書」を申請しましょう。

り災証明書は、避難生活が落ち着いて、次の段階へ
進む時に非常に大事な書類となります。

自宅の被害については、全壊、半壊、一部損壊、など
被害の状態に応じて支援を受けられたりします。
各役所にて申請をしておくことをおすすめします。

→「り災証明」について、こちらのブログで詳しく載っています。

私の実家は、家具が倒れたり、壁土が落ちてしまったり、
瓦が落ちたりしましたが住めていたので、
り災証明を申請しないままでいたのですが、
大きな被害が目に見えてないようでも、被災しているから
申請していた方がいいと言われて、しましたところ、
後日、調査員の方がきて、「半壊」認定でした。

現在の避難所、物資、給水、などの情報は、熊本在住の
タレントのスザンヌさんのブログがとても詳しいです。

→スザンヌオフィシャルブログ



実はですね、昨年、新婚旅行で九州を旅してきたんです。
初九州で、湯布院も行きましたし、名城、熊本城にも行って
天守閣にものぼって来ました。
絶対またこよう!と思ったくらい楽しい旅でしたので、
今回の地震はよけいにショックです。

テレビで取り上げられなくなってきてからが、復興に向けての一歩が
始まります。
私が一部仕事復帰できたのが、震災後一ヶ月でした。
ガスの復旧に一ヶ月くらいかかったので、自宅避難の人たちはろくに
お風呂に入れずに会社通勤していました。
うちの主人は、ガスが復旧するまで、バケツ一杯のお湯で体全部を
拭く術を学んだと言っています^^;

そうやって被災した人たちも経済活動ができるようになり、
普通の生活ができるようになってから、少し復興が進んでいる
と実感していきました。

「東日本大震災」被災当時の記事

 

→ その他「東日本大震災」関連記事

そして、津波の被害の方達が避難所→仮設住宅を出て、
おうちを建て直したり、復興住宅へ入居したりが始まりました。
現在のうちのすぐそばに、マンションタイプのとても大きな
震災復興住宅が去年建って、今年の春からようやく入居されています。
ここまで5年です。

ですから長い支援を続けましょう。

私も微力ながら、東日本大震災のお礼にできることを
支援していきます。