- 著者: ウルフ ポーシャルト, Ulf Poschardt, 原 克
- 「 DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史 」
昨日の私の記事「朝日新聞は一業者にすぎない 」に対して、
憤りを感じた方もおられたかと思います。下記のような御意見もありました。
「さすがに、ライブドアのPJのニュースと同様に並べられては、
朝日の信用度も落ちるはず。他社も後に続くのではなかろうか。・・・」
朝日新聞のような「伝統ある」メディアの「価値ある」記事が、
他のいろいろな「価値の低い」記事などと並列に並べられることに憤りを感じる方は多いと思います。
そこで、本日はミュージックシーンの視点から、このテーマについて考えてみたいと思います。
(参考書籍タイトル: DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史 )
皆さんも機会があったら是非、読んでいただくと面白いかと思いますが、
特に興味深いのはP133 「作者・芸術家の死」という章です。
DJは、様々な「伝統的な」アーティストが作った曲の一部を、ただの一つの素材として「サンプリング」して利用し、曲をプレイします。そこでは、「価値ある」曲も「価値の低い」曲も並列に並べられミックスされプレイされます・・・・
「アーティストという作者・芸術家の死。これは、主体という伝統的なコンセプトと、理論的にさよならすることだ。主体なんて言ったって、人文科学が「最近」生み出したものじゃないか。こういって、その正体を暴いたのはフーコーだった。これに勢い付いて、脱構築は「主体」とか「私」とかいう言葉もイデオロギーだぞって、解読していった。・・・・」
自分の曲をDJにサンプリングされ、利用された伝統的な「価値ある」アーティストは怒りました。
しかし、今、こうした「伝統的で価値ある」アーティストの主張に耳を傾けているのは、老人くらいなものでしょう。
iPod世代の若者達は、自分達がノレて踊れるグルーヴを求めているのです。
「伝統的で価値のある」アーティストの主張など関係がないのです。
同様のことが、「インターネットメディア」と「既存メディア」について言えると思うのです。
「既存メディア」という「作者・芸術家」は、「インターネットメディア」という「DJ」に「サンプリング」されて並列に並べられ、使われるのが嫌なのでしょう。しかし、視聴者は、「DJ」が「サンプリングした曲」を求めているのです。