「神さま、全知全能の神さま。

 どうぞ、私の声に耳を傾けてください。

 どうか、全てのものが祝福される手立てについて、

 あなたのみ言葉でもって、お教え下さい。」








「神さま、神さま。

 祈りをきいてください。

 私は、何をすればいいのでしょう?

 何をどうすればいいのでしょう?」









「神さま、神さま... 慈悲深き方。

 黙っていらっしゃらないで、どうかお答えください。

 あなたの造りし我らを、どうかお見捨てにならないで下さい。」





「 ・・・ ふむふむ。  きいておる。


 ところでそちは、考えたのか?

 全てのものが祝福される手立てについて?」



「はい。一月もの間 洞窟に篭りまして、

 寝食も忘れてひたすら考えてまいりました。」



「ほう それはそれは... 

 で、そちはどう考えたのじゃ?」



「はい。 正直に申し上げますと、

 全てのものが祝福される手立てなど、

 起こりえないのではないかと... 。」



「ほほう。 なぜ、そう考えた?」



「はい。

 この世界には実に様々な生き物が暮らしております。

 蟻のように小さきものから、象のように大きなもの

 また、花の蜜を吸って暮らすものから

 生きた獣を食らって生きながらえるものまで...

 それらのものにはみな それぞれに、

 欲望というか習性がございます。

 ならばいかにして、相反する欲望を相互に叶えうることでしょう。

 生き続けることを望むものと、

 他の命を奪わねば生きることの出来ないものとが、

 共に祝福を感じて共存することが如何に出来ましょうか?


 人間一人一人にしましても同じことです。

 皆個々に、それぞれ違った欲望、習性を持っております。

 一方の欲望を満たせば、他方のものは剥ぎ取られ、

 一方の思いを叶えれば、他方のものは妬みます。

 一度宿った欲望というものは、どのように押さえ込んだところで

 決してなくなるものではございません。

 むしろ無理やり押さえ込むことは、

 生きる喜びを失います。

 

 例えば、

 獅子に獣を食らうという欲望を無理やり抑えさせたならば、

 まずは歯向かい、次には死を選ぶことでしょう。

 草を食んででも生きながらえようとは、

 到底思うことはないでしょう。

 人にも同じことがいえるかと思われます。

 

 ゆえに、全てのものが祝福される手立てなど

 この世に存在などしないかと、私には思われました。」



「ほう、ならばそれでよいのか?

 そちらがそれでよいと申すのなら、

 それならそれで致し方ない。」



「なんと申されます、神さま。

 あなたは人々の苦悩をご覧になられていないのですか?

 鬼畜のごとく怖ろしきものたちが、

 守る術を知らぬか弱きものたちに襲い掛かり、

 なんとも酷いことを公然と為しております。

 致し方ないなどと仰られるのは、どうしたことでしょう。

 誰よりも強い欲望を持ち、生きながらえるものたちの姿こそが

 あなたの造られし人間の正しき姿であるとでも

 仰られるのでありますか?」



「ふ~む。

 なるほど、強きは正しいとな。

 それがそちの一月かけて出した答えか?


 ならばそちが強くなって、全てのものを仕えさせ

 そちの思う正しい世界とやらを

 そちの力で作り出してみればよいのではないか?」



「   ・・・・・・・ よもやそのようなことを。

 慈悲深きあなたさまが仰られた言葉とは思えません。

 全てのものたちが祝福をうる為にはまず、

 大地を血で満たせ。と仰っておられるのですか?

 そのようなことを、そのようなことを...

 神と呼ばれるあなたの言葉とは、

 到底私には思われません。

 あなたは真の神ですか?

 いえ、神という存在は何ですか?

 何故、人の心をもてあそばれるのですか?

 何故、人に心をお造りになられたのですか?

 いっそのこと 心など

 他の痛みを感じとる心など

 元から授けたりなさらなければよかったではないですか?

 この心の痛み、他を想いて憂う慈悲の心に

 どんな意味があることでしょう?

 


 神よ、神さま。

 いいえ、この世に慈悲の心が無用などとは

 私は思いたくなどないです。

 なにかしら、なにかしらの手立てがあると、

 人が人にしてこの地で暮らし、

 誰の尊厳も権利も奪われず、

 祝福を受け生きる手立てが

 きっときっとあるのではないかと?

 

 お教えください、どうか...

 お教え下さい、神さま。」