生検から結果がでるまでの1週間・・・・・・


ほんとに嫌な時間でした。


すでに職場の上司には話しておきました。


我々の仕事は曜日も関係なく、毎月毎月、主任看護師が勤務表を作成しています。


もし最悪の結果だとしたら・・・その後、12月の勤務はどうなるのか分からないので、夜勤を減らしていただく必要がありました。


職場のみなさんに励まされながら、悶々と仕事をしていました。


大丈夫!絶対、ガンじゃないよ!って・・・・・



2009年12月4日


私はこの日を一生、忘れません。


生検の結果を聞くための、受診日でした。


この日は、母も仕事の休みを取って、一緒に行ってくれました。


数時間待ち、いよいよ順番。


ドキドキしながら、この間の女医さんの前に座りました。



「検査の結果・・・・・やはり、悪性リンパ腫でした」


先生は驚くほどサラっと、言いました。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


そして血液データの用紙を出し、IL-2Rという腫瘍マーカーの値を指しました。


その値は、1233。 582という上限値に比べて、はるかに高値でした。


何も言えない私に、続けて話します。


「悪性リンパ腫って、いろんな種類があるんですが、、、その中で、B細胞型濾胞性というものです。


これは、リツキサンという薬が、非常によく効きますので、この薬で治療をしていきます。」


治療をこれから月に一回、6クール行う事、一番最初の治療は経過観察のため入院して行う事、など、


今後の治療予定の話を、やっとの思いで聞いていました。


隣で母の、鼻をすする音が聞こえました。


告知をされて、真っ先に娘の顔が浮かびました。


私が知りたいのは、たったひとつ。


「いつまで生きられますか?」




診察室を出た後、先生の言葉をずっと、思い浮かべてました。


非常に進行が遅いガンである事、リツキサンはいい薬だという事、治癒もあり得る事、副作用も少ない事・・・・


6クール治療をしてみて、どれだけ効いてるかを診ないと、予後は分からない事・・・・


一緒にがんばりましょう、、、



やっぱりガンだったかぁ・・・・・・・


夢じゃないだろうか・・・・・・


なんで私が・・・・・


診察後、頸~ソケイまでのCTを撮りにいきました。


撮影が終わり、横になって機械から出てきた時、そこで初めて、急に涙が溢れてきました。


起き上がれず号泣している私を見て、担当だった若い男性のレントゲン技師さんは、オロオロしてました。


そこへすかさず、ちょっと年配の女性の技師さんがいらして、「どうかしたの?」と声をかけてくださいました。


「いま・・・・今、、ガンだって言われて・・・・・・」


「・・・・・・・・・そう。つらいわね。・・・・でも、がんばって。今日は一人で来たの?」


「いえ。母が一緒です・・・・・・・すみません。」


「大丈夫?お顔拭いてね。着替えは落ち着いたらでいいからね。」


その時の技師さんの心遣いが、とっても嬉しかったのを覚えています。



ガン患者になっちゃった・・・・


でも!!!私でよかった。


娘じゃなくて、私でよかった。


そう思うと、母に対して弱音を見せたくなく、、、、


「まぁ・・・・先生に任せていくしかないね。治していくしかないね」


なんて、帰りの車中で話してました。


この日の前日は、私の誕生日でした。


とんだプレゼントをもらったものだ・・・・と思いながら、はたしてどんな一年になるのだろうか・・


と、ぼんやり考えていました。