海外旅行が特別な事でなくなった現在では死語だが、外国帰りは「洋行帰り」と言ってハクが着いた時代があった。戦後初の洋行帰りをした女優は人気絶大だった田中絹代。彼女は帰国パレ-ドで投げキッスをしたり、取材記者との受け答えもアメ リカ流だったり、すっかり「アメリカかぶれ」(これも死語か)になって、ひんしゅくを買ったそうだ。
 田中絹代に次いでアメリカに渡航をした2人目の女優が山口淑子。彼女はハリウッド での記者会見で訪米の目的を聞かれ「キスの勉強をしにきました」と答えた。翌日の新聞には「キスを習いにきた日本の女優」と好意的に紹介されたそうだ。彼女はウケようとして言ったのではなく、実は大真面目だったそうで、日本での歓送会で映画評論家から本場の美しいキスの場面を学んで来るようにとアドバイスされていたのだ。

 キスシーンはTVでもよく見られるようになったが、日本映画にはキスシーンはご法度だった。キス解禁は1947年東宝映画「四つの恋の物語」らしく、ガラスごしの 「接吻」シーンは当時、映画史に残る名場面とされたという。そんな時代、バカらしいと見るか麗しいと見るかでその人の感受性度数(EQ)がわかる気がする。いまどきのアメリカ映画では、刑務所の面会で恋人や夫婦がガラス越しに手のひらを合わせるシーンがあるからかえってアメリカの囚人にウケたりして。

アメリカでは日常的にキスをする。家族のキス、友人間のキス、そして恋人同士のキス。そういった環境の中で子供の頃からキスに慣れているアメリカ人は特にキスを習わずとも状況に応じて軽いキスからフレンチキスまで対応できる。最近は人前で平気でキスをする日本人男女がいる一方で、パブリック・ディスプレイ・オブ・アフェクション(PDAと略される。人前での愛情行為)を含め日常生活の中でキスをする習慣がない のでキスはまだまだ発展途上と言わざるを得ない。私も年頃にはキスとはどうするのか、鼻は高くないので『誰が為に鐘は鳴る』のイングリッド・バーグマンのよう にキスをする時鼻はぶつからないのかと悩む事はなかったが、美術の時間に作った 彫像相手に練習に励んだ。

 フレンチ・キスも簡単ではないが挨拶代わりの軽いキスも難しい。チュッと快音が出ず、下手な人がするとビチュ、と濁音が出る。気分は台無し。デューク・エリン トン作曲の『プレリュード・トゥ・ア・キッス(キスへの前奏曲)』という曲があるが、日本人はキスの前のムード作りも下手。いきなり抱きついてキスを迫るという最悪のパターンもままある。

 

社交の場で交わされる事の多い頬へのキスがソーシャルキス。必ずしも肌にする必要はなく、左右の頬に

キスをするマネ(エア・キス)や唇で「モワ」と音を出すだけの擬音キスなどがあり、これが案外難しい。どうしても最初は恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。ようやく慣れた頃に帰国してしまい、今度は、たまにNYに行くと、ハグは何とかこなすが、ソーシャル・キスはまたまた気後れがするようになった。

まあ、基礎コースはクリアしたから、アメリカで何を学んだのか、と聞かれると、私は、キスと民主主義、と洋行帰りの先輩女性に倣って答えている。帰国してからは両方ともプラクティスの機会が少なくなって、キスの味と民主主義の味がどんなものだったか、しばし考えないと思い出せなくなっている。

追記 日本経済新聞(2004.8.26日)に山口淑子さんの半生記が載っていた。

それによると1950年に「醜聞(スキャンダル)」という映画のプロモーションを兼ねてアメリカ旅行に出かけた際、批評家たちに「キスシーンの勉強をしてきて」と言われていたのだそうだ。


で、渡米時の記者会見で、ハリウッドで何を学びたいかと聞かれ、「キスの仕方を勉強に来ました」と答えたのだという。