何だろう、
 今回は尾ろうな話で恐縮だが、トイレの話をしてみたい。ニューヨークと言うとトイレの話題がよく挙がる。特にツーリストの場合、トイレ事情に疎く、使えるトイレが少なくて難儀するからだろう。

 事実私も街を歩いていて困る事が多かった。急を要して客でなくとも使わせてくれるスターバクスを血眼で探した事も度々。このコーヒーショップは比較的きれいだが、ようやく入ってみてその汚さにびっくりする店もある。文明国でこれほどトイレが汚いとはいかなる理由によるものかよくわからない。

 ニューヨークのタイムズスクエア駅のあるトイレなどは、4基あるうちのひとつが壊れていて、あとの3つもいつ掃除したのかわからない、映画「トレイン・スポッティング」に出て来たおぞましいトイレと酷似していて、とても腰掛けるどころではなかった。が、電車に乗る前にどうしても用を足さなければ電車内でガマンができなくなるだろう。思い切って入ったのだ。通り過ぎるたび、外観からして汚い事がわかっていたので(こんなトイレを使う日などやって来ないだろう)と思っていたのだったが…全く、夢でうなされそうなトイレだったが、ないよりはマシだった。

 日本に戻って来ると駅のトイレなどでもけっこうきれいで、洋式の便座が濡れている事などない。ニューヨークなどに比べれば日本のトイレは格段にきれいなのだ。それなのに、先日トイレが汚いと言い張って泣きわめき、用を足そうとしない子供を見かけた。

 私が時々ジョギングの帰りに使うある建物のトイレで、水洗の広々としたトイレで、建物同様古ぼけてはいるものの、掃除は毎日行なわれているので清潔である。そこのトイレで、祖母が孫と思われる7才ぐらいの男児を叱り付けていた。

「ウンチが出るって言ったから来たんでしょう!早くしなさい!」
「ここ、キタナイから出ない」
「キタナくない!ウンチをしないならここに置いて行くよ、付いて来ないで」
「早く用を足しなさい」
「キタナイから出ない」
「出る!」

 延々と押し問答をしていて、業を煮やした祖母が遂に孫をぶった。孫はそこで泣き始めたが、それでもトイレに入る様子はない。

 ここが汚かったら、日本全国、汚いトイレだらけで、外で用足しなどできないだろう。汲み取り式でもなければ中国のニーハオトイレでもない。一応文化的な、掃除の行き届いた水洗トイレを前にしてキタナイ、出ないとはどういう事だろうか。

 以前TVでトイレ事情の良くない国に行く大人の息子に向って「大丈夫?あなたウォシュレットのないトイレ、使えないじゃない」と言った母親がいたが、水洗トイレをキタナイ、とぐずる子供、ウォシュレットがないと用が足せない成人男性。何と情けない話ではないか。あまりにトイレ環境が整ってしまって「汚い」トイレに対する耐性が全くなくなってしまったものと見える。世界に出れば汚いトイレはいっぱいある。キャンプをすれば野外で用を足す場合もあるだろう。そうした場面に遭遇したらどうするのか。

 たかがトイレと思うかもしれないが、「あれは食べられない」「そんな洋服はいやだ」と、近年の子供を見ていると恵まれているというより、甘やかされすぎでやわになっていて、見るだに苦々しい。