人はオバサンに生れない、オバサンになるのだ(ボーボワールの『女は女に生まれない』のパロディ)。『私がオバサンになっても』という歌があったが、オバサンとは年齢で決めるものではなくステート・オブ・マインド(心のありよう)なのだ。

オバサンは蔑称でもあるからあまり使いたくはないが、中年女性の牙城であるお昼のスポーツクラブでウォッチングするところ、オバサンにはそう呼ばれても仕方のないいくつかのオバサンくさい共通項があると発見するに至った。

オバサン化その1。立ち話。オバサンはスーパーや公道で他人の通行を妨げてまでこの習慣にのめり込む。ジムのサウナで家族構成から何から洗いざらい自白のように喋りまくるので、私がサウナを出るまでにはその人の私生活があらかた分かってしまう。

オバサン化その2。オバサンはガサガサ虫である。彼女たちはロッカールームでもシャワールームでもガサガサ、ゴソゴソと音を立てる。水着に下着、シャンプー、クリーム類一切合財をスーパーのビニール袋に入れてひっかき回すからである。ガサゴソが一、二度ですめばよいが、お目当ての物が見つからず、いつまでも手を突っ込んでいるその音たるや私の神経までひっかき回されるようだ。これが映画館なら大ひんしゅく。ある時、あまりにうるさいので「どこかに忍び込む時にはその袋、持っていけませんね」と嫌味を言ってやった。私はゴム引きのポーチを持参するのでガサガサ虫ではない。

オバサン化その3。オバサンは「えーっと、シャンプー持ったよね」とか「ああ、タオル、この辺だったかしら」とのべつ一人言を言う。この手のタイプはスーパーでも惣菜を見て「おいしいかしら」なんて、一人言とも質問ともつかない曖昧な言動をする。こういうツブヤキオバサンは家でも職場で回りの人に嫌がられているのは確実である。

オバサン化その4。こちらが走って泳いで気分爽快な時に「やれやれ、あー、どっこ~らしょ」などと年寄りくさいフレーズを吐いて気分を台無しにする。周りに自分がどう映ろうと関係ない、というのは立派なオバサン。

極めつけはパンティのはき方。日本人は蹲踞(そんきょ)の姿勢になじんでいるせいか、お相撲サンがしこを踏む時のようにがに股になって下着をはき、ぴょんと飛び上がって引き上げる。見苦しい事この上ない。日本人女性のするしぐさで一番美しくない。外国女性がこれをやるところは見たことがない。男がこれをやると百年の恋も醒める。男も女も小笠原流とまでは言わないが幾つになっても美しい所作を心がけるべきではないだろうか。