日本人とは、自分が悪くなくとも「すみません」を連発し、ポストが赤いのも自分のせい、というマゾヒスティックな冗談まであったぐらいだ。

 田舎に住む私の母や姉もよく謝る。先日帰省し、温泉旅行をした。バスの終点から送迎のマイクロバスが出ていた。母の横に夫婦連れの夫の方が立っているのを見て妻が補助席に座ってはどうかとしきりに勧め、母の席の横に付いている補助席を自分で倒し、腰掛けた。ホテルに着くと、その男性は補助席を元に戻さずにさっさと降りて行った。母や他の乗客も外に出るには補助席を戻さなければ出られない。妻も戻そうとしない。母は高齢である。私がやりたくても手が届かない。ムッとして妻である人に向って言った。「あら、補助席を戻さないで行きましたよ、自分が座ったのだから戻すのが本当じゃないですか」と。

そんな時でさえ、私の母は「スミマセンねえ」と愛想笑いをしてその60代妻に謝るのである。

 東京人にこんな人はいない。昔はいただろうが、近頃は様変わりして謝らない人々が目に付く。自分に非があろうが注意される事に我慢ができないのだ。私の周りにも謝れないまま、友人を次々と無くしてしまう女性がいた。謝ってくれれば許そうとこちらは思っているのに、意地を張って彼女が得た物は何だったのだろうか。

 東京の予備校生の兄が短大生の妹を切断して殺害した事件でも、中日新聞に「兄に謝ってくれさえすれば」という囲み記事が出ており、両親が発表した手記には「(20才の娘は)大変気が強く、自分から非を認め謝ることのできない子だった」とつづっている。「あの時、亜澄が『ごめんなさい』と兄に謝ってさえくれれば、凶行に至らずに済んだのではないか」と心境を吐露している。

 歌手の森進一の「おふくろさん」の件についても、TVの番組司会者は「ちょっと謝れば済むのに」とコメントしていた。

 慰安婦問題についても日本政府は国際的に非難の矢面に立たされている。3月6日付のニューヨークタイムズには「かつての日本軍の性奴隷問題について、安倍晋三はいったいどの点がそんなにも難しくて理解できず、率直に謝るということに難渋しているのが不思議だとしか言いようがない」とある。

 ありがとうもごめんなさいも言えない/言わない知人男性がいた。謝らないのは単に強情なのか、それとも男の沽券にかかわるとか、悪い事をしたと感じないほど鈍感なのか、謝るのはカッコ悪いと思っているのか、自分の心情を吐露する人ではないのでよくわからないが、安倍首相の場合はどうなのだろう。政府が関与していたのかいないのか、どちらにしてもいい加減、戦中、戦後の問題にははっきりとケリを付けてもらいたいものだ。