近所に知的障害者の通う施設がある。たまにバザーなどの手伝いをする。食事のサービスがあるのでそれを利用する事もある。障害にも程度があって、ここには軽いメンバーが集ってくるようだ。2人障害の重い人がいて、1人は病院に入っていたそうだ。彼が就職するのは無理だろうと思うが、健常者とさほど変わらない(ように私には見える)人が多く、かつては会社員として働いていたとか、英語を話せる人者もいる。簡単な仕事なら十分にこなせると思うのだが、彼らは国から年金を支給されていて、就職すればそれが打ち切りとなるのだそうだ。となれば就職はしないでおこうという気になるのは当然だろう。かくて長い自由時間が生まれる。それで何をやるかというと、施設での彼らを見ている限りでは食事をしたり、お茶を飲んだり、ダベッたりタバコを吸ったりして日がな1日過ごしている。

 施設での調理などを手伝うとささやかながらお金が出るが、進んでやるのはごく一部のメンバー。あとは水撒きや掃除など手伝う事はいくらでもあるのに、何もしない。「何かやってもらったらいいんじゃないの」と従業員に言っても「絶対にやってくれない」と笑うだけ。何とも無気力、何とも非生産的。

 施設の目指すところは障害者が社会生活を送れるよう手助けをする、というものだそうだが、この5年ほど見ていると、メンバーは良くなるどころか、表情も段々暗くなり、太り、不健康そうになっている。うつ病の人はやる気が出ないとか、服用している薬のせいで太るという面もあるそうだが、それだけではないような気がする。植物を育てたり、皆で一緒に作業をしたりすれば精神的にも大変いいような気がする。

 だが、私の見るところ、彼らが段々暗くなって行くのは社会とつながりを絶たれているからではないかと思う。本来なら働き盛りの40代の男女が、仕事もせず、かつかつの生活をしているのでは将来の展望もなく、目標も持てずどんどん現実からかい離し、自分の中に閉じこもってしまう。

「飼い殺し」

 ふとそんな言葉が浮かぶ。働ける者は働けるようなシステムであれば労働の喜び、社会人としてのプライド、もう少し豊かな生活、そんなものが手に入り、彼/女達の顔も明るくなると思うのだが…