遥洋子さんというタレントさんが日経ビジネスオンラインというお堅いウェブサイトにコラムを書いている。男性にはない視点でよくわかるが、5月25日の「笑顔と相づちの裏にあるもの」にはちょっと辟易した。

 ホームパーティで、女10人に夫が1人参加したそうで、男性は多勢に無勢なのにも関わらず饒舌だったという。女連中は(遥さんを除いて)全員彼の話に肯定のあいづちを打ったという。遥さんが「そう言えるかしら?」と反発したらしいが「だから君は不幸な女なんだよ」と言い返されたとか。よく男性が弄する話法である。そこで遥さんも言い返せばいいようなものを、後述する理由からか、そこで黙ったと思われる。他の女性は言い返されるのがいやさに相づちに精を出し、灰皿を出したり料理や酒を出したりと、私に言わせればまるで召使のような状態に陥ったという。

 1人男性がいるだけで、女性たちはその本音や本心を隠してしまうので、女性ばかりの集まりに夫が参加するのはよくないと思ったそうだ。遥さんには申し訳ないが私は(それもどうかなあ)と感じた。男性ばかりに喋らせておく女連中にも責任があると思うからだ。男性ばかりの集りに妻が1人混じり、得々としてその場を牛耳るという図はまずないだろうが、その夫も少しは場の雰囲気を察したらどうだったろう。

 また、遥さんは同じ大学卒の女性友達4人で数年ぶりに待ち合わせをした時にも本音を言えなかったそうだ。店のオーナーがしゃしゃり出て来て喋り続けた時には、早く退散して欲しいのにわざわざ 「お掛けになったら?」と仲間が言い、全員彼の話に笑顔で相づちを打ち、いかにも楽しそうに雑談に興じたという。1時間が過ぎた頃、今度は「なにかお飲みになったら?」と言ってしまったのが運の尽き。4時間も雑談に付き合ってしまい、女連中は結局話が出来なかったと書いている

 心にもない事は言わなければいいではないか。よく京都の方が「お昼でも食べて行っては」と誘うのは早く帰れという意味だと聞いた事があるが、にこやかにたおやかな京都弁で言われては田舎出身の私など「好意」に甘えてしまうかもしれない。

「去ろうとして引き止められて、本物だ。それを調べるには、まずは、去ってみるしかない。」という彼女の主張には到底賛成できない。

オーナーの方の気を悪くさせない程度に「今日は本当に久しぶりに集ったので積もる話があるので」とどうしてきちんと言えないのだろうか。「メニューお願いできますか(何かいいワインがありますか)」などと言って彼をテーブルから遠ざける努力もせず後からグチを言うのは、彼や仲間に対して「いい子」でいたいからではないだろうか。この話が回りまわって彼の耳に届いた場合、(どうしてそうと言ってくれなかったのだろうか、彼女達を楽しませているつもりだったのに)と気を悪くするかもしれない。いつまでも女性が本音を隠し、男性に媚びているのでは女性の地位も上がらない。男女間のコミュニケーションも成り立たない。