はしだのりひことクライマックスのヒット曲「花嫁」
大まかに言うと一生一度の恋をした女性が身一つで嫁いで行く、という内容である。

…こんな風に書いてしまうと「今時珍しくもありませんが、何か?」と言われる事必至だろう。
けれど、その時代の筆者には限りなく鮮烈なイメージを残した唄だったのだ。

 この曲が発売された1971年は、いわば「祭りの後」の様だった。
1969年の安田講堂事件の終焉をもって学生運動はその衰退を明らかにし、1970年の大阪万博の熱狂も去った。
そして辺りを見回すと、進歩のかけらも見えない日常。
トーキョーの大学に行っていた憧れのお兄さんお姉さん達はといえば、その末路が身内の子供等の口からあからさまに告げられる。
曰く、ケーサツのお世話になった挙句親に連れ戻され「実家に戻って家業を継いだ」または「すぐにお見合いをしてうんと遠くにお嫁に行った」んだそうだ。
片田舎に住まいするこまっしゃくれ盛りのハナタレでも、これはさすがに幻滅した。
因習のカベはジュラルミンの盾よりも強かった。この国も、自分たちの人生も先人の域を越える事は許されないのだろう…という思いが心の隅っこに植えつけられた。
男子連中はまだよかった。堅実な就職先と志があれば「一旗あげる」可能性は残っていた。
悲惨なのは女子だ。慎重になった親達は「女に学問はいらん」という思考を再び支持しはじめ、母親の手伝いや手芸に精を出し「カワイイ」と「カワイソー」が大人の前でで言える事が美徳とされるようになってしまったのだ。新婦人の心意気は一体どこへ行った?
いくらテレビや映画で進んだ男女関係とやらが描かれても、それはあくまでもフィクション。ただの絵空事。
義務教育プラスαの学校を出たら「職場のハナ」を何年かやって、近所のそのスジのオバさんの口利きでよく分らない男の所に片付けられる。どうせそんな人生しかないだろう、とあきらめかけていた時代。
そんな時代に、この「花嫁」という曲が流れてきた。

 軽いリズムに乗った明るい曲調。そして何の気負いも衒いもなく唄いあげられるヒロインの心情。
そこに描かれていたのは「好きだから一緒に生きていく」という本当にストレートな想い。
それまでそういう形態の結婚は「カケオチ」として蔑まれていた為行う当人側にも引け目がつきまとったのだが、そんなものにはハナもひっかけない大らかで潔い女性の姿だった。
この唄は崩れ落ちそうなハナタレ共にも思い出させた。
そう、これは自分達に許された権利なのだ、日本国憲法第二十四条の施行なのだ。何のやましい事があるものか!と。
そして片田舎の少年少女は取り戻した。自分の描く未来を、夢を。
きれいなお姉さんが花束ひとつ携え乗り込んだ夜汽車のテールランプを、希望の眼差しで見送るハナタレ共がそこにいた。






それから幾星霜…
筆者は相変わらず夜汽車のテールランプを見送っている。

どっとはらい。