ストレートで賞

 

 うん、あながち間違ってない!


自分の気持ちに嘘はつきたくないので

例えば

大ちゃんが結婚報告した時も

友様の中には受け入れられない人が多かったけど

だからといって「あたしも無理ー」とは言えなかったなー


でも、自分の気持ちをゴリ押しすることはしないように心がけてる(だからと言って、気持ちが変わることはほぼない)


でも、(;-ω-)ウーン

誤解は招くよね滝汗滝汗滝汗


相手の気持ちに寄り添えないやつ泣くうさぎ泣くうさぎ

と、思われることはよくある


万人受けしない性格だと思う



ということで



今週も暇に任せてあちらこちら

ウロウロとウォーキングしてました


木曜日、良いお天気だったので

うちから徒歩40分ぐらいのところにある


さかい利昌の杜に行ってきました



地元堺市ゆかりの

千利休、与謝野晶子の記念館みたいなものです


ここに行くまでに

3つの鉄道の踏切を渡るんですけど



南海高野線を渡るのに

地下道が、あるんですけど

ここがえげつない坂道なんです



ね?やばいっしょポーンポーンポーン

ここを自転車押しながら登るんですよ

もちろん帰りはすごい下り坂


あたしは歩きだけど

結構辛かった💦



そんなこんなで着きました

さかい利昌の杜


1階フロアは昔のこの当たりの地図がお出迎え

赤い印のあるのは

全部神社仏閣です



南蛮船



与謝野晶子の書斎の再現





与謝野晶子は和菓子屋さんの娘です


その名も「駿河屋」


有名な「総本家駿河屋」から暖簾分けした

「堺  駿河屋」です


今はもう、閉店してありません


与謝野晶子の生家は街の中心の大通りとなってしまい

いまは、石碑があるのみ

その大通りは路面電車が走ってます


こちらが「堺 駿河屋」を再現したものです


 

利昌の杜の横には

千利休の生家跡があります


(ボランティアのおじいさんがいたので、ガイドしてもらいました)



ここからはボランティアのおじさんに聞いた話です



門構えありますけど

もちろん当時のものは残っていません


大坂夏の陣でこの辺りは全て戦火で消失しました


唯一残ったのが

この井戸ですが

こちらも周りの造りは全て再現されたものです


井戸の水は今も枯れてませんが

安全のため蓋がされています


 こちらの水飲み場から出ているのが

ポンプでくみ上げた井戸の水です



 

現在はこじんまりしていますが


敷地はこのあたり一帯全て

千利休の実家の土地だったそうです


千利休の実家は

「ととやさん」

魚屋さんではなく


魚問屋で

堺の支配階級「納屋衆」と呼ばれる特権階級の息子


千利休って「ええとこの子」だったんだびっくりびっくりびっくり




またひとつ地元の歴史を知る事が出来ました



もちろん帰りは

あの、地下道を通って帰ったことをお知らせ致します(めちゃくちゃ歩いたあとの、あの坂はキツかった😭)




今日の午後

かなり前のブログで書いた

「自宅の揉め事」の件で

話し合いをすることになってます


全て決まったら

ここで思いっきりボヤくので

また、聞いてください


もう、めんどくさいから

いい加減に解決して欲しいのよーチーンチーンチーン