私は野口晴哉は悟っていたと思っているのですが・・

 

 

 

OSHOはインドでは悟りの人を

ボディサットヴァ(菩薩)とアルハッタ(小乗菩薩)に分けられると言いました。

 

 

菩薩とは言わずと知れた釈迦、キリスト、達磨、老子、一休、OSHO他、悟りの道を説く人でインドではバグワンとか言われる。後世その教えの創始者、または教祖となる。

 

アルハッタは悟っていることを隠す。

個人主義的な道を選ぶ。

 

 

アルハッタは私がインドにいた頃、OSHOのアシュラムにおられた。

 

 

普通にアシュラムの中で働いていました。

タバコをこよなく愛し、誰にも好かれる普通のインド人でした。しかし昔は首相ネールの側近で名前はマイトレーヤ、私がOSHOの弟子になった時、ジーバン・スイカールという名前をつけてくれました。(右から2番目のインド人)

 

彼の死後OSHOが彼が悟っていたことを宣言して、初めて私は彼が悟っていたことを知りました。

OSHOは彼が悟った後、普通の人を演じる道を選んだと言っていました。

 

 

この様に自分の悟りを前面に出さず生きている人もいるわけで、野口晴哉はアルハッタであったのではと思うのです。

 

 

 

自分の到達した魂レベルの高みから、ブッダの様に宗教的教えで一般大衆を助けるより

 

 

人の体を見るのが楽しかったのでしょう。

そして病や怪我で大変な人に整体という形で貢献したのではないかと思うのです。

 

 

だから悟った人の研究で成り立つ技術の奥深さは底知れない。

凡人が10年、20年やってもビギナーと言われるのは当たり前だと思います。

その技術の難しさは野口晴哉の

『悟りの境地』がスタートラインだからだと思うのです。

 

 

整体師として仕事をするなら野口整体は避けては通れない
⁡しかし野口整体というのは難しい。

 

 

野口整体は、1万人に1人習得できれば良い方だと思っています。

ある意味で凡人には習得不可能だ。

 

 

それが晩年の野口晴哉の憂鬱だった。

 

 

『どうしてこんな事が解らないのだろう?』

が口癖だったという。

 

 

野口整体研究に一生をかけた

私が学んだ整体師 岡島瑞徳氏 がよく言っていた。

『私の様な人間がいなかったら野口整体はだれにも理解できない』

 

 

しかしそれでも天才黒田鉄山の武道の心得を持ってして説明される岡島瑞徳の野口整体は相変わらず難解至極だ。

 

 

だからある意味で野口整体は今危機の時期だ。

本当の技術を持つ人が非常に少なくなっている。

野口晴哉の弟子、四天王は全て亡くなってしまった。

岡島瑞徳もいない。

 

 

 

 

だからスイングボディ は微力ながら、それにチャレンジしたい!

 

1万人に1人しか理解できないものを

凡人が理解できるものに、一部でも良いから

揺らしのスイングボディ に翻訳する事が

スイングボディ の夢だ。

 

アルハッタとボディサットバの違いはあっても悟りの人の説く共通する真実には変わらない。

 

 

野口晴哉の言わんとするところは

 

 

我が師OSHOの言わんとするところと重なる。

 

 

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