私が10年滞在していた35年前のインドはもう存在しない。

 

停電になると信号気が使えなくなっても整然と動きを止めない、大通りのリキシャ、バス、トラックに混ざって牛車が動いていたインドはもう無いようだ。

 

先日、サンシャイン60でミネラルショーが開催されウチの【天のしずく】も出店した。

 

会場全体売り上げをいかに上げるかのムードの中で、私たちの前のブースのMINERAL INDIAのインド人はあくせくすることなくゆったりとしていた。

 

ウチも初めての出店なのでのんびりしていて、その中のインド女性と時々目が合い笑みを交わすうちに、話をしてみると

私たちと同じくOSHOの弟子だった。

ちょうどその日はOSHOの誕生日で、OSHOのサプライズの引き合わせだったようだ。

 

 

OSHOの弟子同士とか言っても、宗教ではない。

強いて言えば、稲盛和夫氏の塾生同士に近い。

 

私がインドに訪れていた頃

インド人は貧しかった。

 

その頃OSHOのアシュラムでは

OSHOの考案する様々瞑想グループの他、スゥエディッシュマッサージ、ロルフィング、ブレス、フェルデンクライス、エンカウンター、グルジェフダンス、ペインティング、指圧、弓道その当時の世界の最先端セラピーグループが、開かれ、全世界の悩める人たち、自己変革を求める人たちのために存在していたアシュラムだった。

私もその一人でここで開かれる当時最先端のセラピーをことごとく受けるためにサラリーマンで稼いだ全財産をつぎ込んでいた。

 

ここでのアシュラムの経営はこのセラピー活動で成り立っていた。

セラピストたちは無報酬であったが、自国で壁に打ちあってどうにもならない状態でOSHOに会いに来て、OSHOの元で息を吹き返し、また自国に帰って多くのお金を稼ぐことができた。

この仕組みの中に入れることなく、貧しいままでいたのがインド人だった。

 

それから30年の月日が経った今

ミネラルショーで出会ったインド人たちは、このミネラルショーのためだけに来日するほど余裕を持って石の販売をしていた。

不景気な経済状況下、切羽詰まった日本人の出店の仕方に比べてはるかに余裕があるように見えた。

 

 

 

ミネラルショーで出会ったインド女性は世界を飛び回るセラピストだった。

瞑想

クリスタルボウル

ファミリーコンステレイション

ダンスセラピー

 

インドは変わった。

35年前の同時代 出会っていた貧しいインドのOSHOの弟子たち。

今は遥かにリッチになっていた。

今現在インドは(GDP)が日本の半分程度だが、10年以内に、日本を追い抜き世界3位の大国になるらしい。

 

【インドは変わった】