★ 初めまして、ジーバンこと金子彰です。

この記事では、まだ私のことをよく知らないという方に向けて、自己紹介をしていきます。

 

そして、それに加えて、

私が何を考え、何を思いながら

 

揺らしのスイングボディ

 

を広くみなさんにご紹介し続け!

 

一家に一人スイングボディ ”

を窮屈な世の中を少しでも明るくできないか

と何故お薦めしているのか?

 

そんな私の価値観や世界観も

皆様と共有できたらと思って書いてみました。

 

この記事を見て、少しでも私のことを知って頂けたら嬉しく思います。

 

少し長すぎるのでほとんど人が途中で挫折します。

それを承知で書いてみました。 (笑)

 

  

 

私は、2万人以上のほとんどあらゆる国の世界中の人々に施術をして来ました。

と言っても世界中を回ったわけではありません。

 

インドで世界中の人々が集まるあるアシュラムで10年、世界中の人々が宿泊する東京品川駅前、メリディアンホテルで10年

サロン店長をやらせていただいて、その間2万人以上の施術経験を持ちました。

 

その中には

  • 大手企業の社長、会長
  • 芸能人
  • パリ・オペラ座バレエ団
  • ベジャールバレエ団
  • ソシアルダンス・ブラックプールチャンピオン
  • K1選手ほかアスリート
  • 世界の名だたるオーケストラの奏者

 

などの一流の方々の体に触れさせていただく尊い機会を与えられながら、

 

 

・極楽のリラクゼーションとは、

・究極の癒しとは、

・ヒーリングとは

 

 

を追求しながら

首肩腰背中の緩め方の研究に始まって

あらゆる体の不調に対処する方法を

《揺らしのスイングボディ》 を創り出し切磋琢磨進化させて来ました。

 

 

つまり

深いコリや心の悩みに 困っている人のための

“ ゆらゆら ”専門家なのです。

 

そうして品川高輪で20年、今赤坂とあっという間に月日が経っていますが、

時には心理的悩みにこだわったこの仕事は、ある日突然決意し、始めたわけではありません。

まるで運命に導かれるように今に至っています。

 

私は幼少期、十代は言語障害というハンデを持つ劣等感からかなり重症の対人恐怖、学校恐怖症、学習障害で、浪人も3年し、せっかく合格した大学も2年で中退、社会に順応できない、今でいう統合失調症の代表的サラリーマン生活をしていました。

今でいうと中年引きこもりにいつなってもおかしくない状態でした。

 

しかしその心の休まる暇のない私の人生に転機が起こったのは、人生に疲れて、インドのOSHOという覚者のアシュラムに身を寄せた時からでした。38歳の時、1987年のことでした。

 

 

 

今だからインドの国立図書館には、ガンジーと並んでOSHOの本が並び、レディ・ガガまでが、最も尊敬する世界の反逆児と褒め称えたりするので、精神世界の人から、OSHOが生きている時会っていると言うと極端に羨ましがられたりしますが、当時は、全世界の反逆児で、とくにカトリック教会から、当時のレーガンアメリカ大統領から迫害を受けたり、麻原彰晃と一緒にされたりで、世間の風当たりはいたって厳しかったです。

 

そこにはたくさんの西欧人の心理系、フィジカル系の医者から哲学者、芸術家、ダンサー、画家、ミュージシャン、あらゆる種類のセラピスト、マッサージ師がOSHOに惹きつけられて集まっていました。

エサレン研究所でマッサージをしていた人とか、ナサで働いていた人とか、日本からは北里大学の研究院生とかが噴水の前で分厚い医学書を読んでいるのを私はみかけました。

しかしそこに集まった人たちに共通することは、みんな人生の壁にぶち当たって悩みを抱えている人たちであると思いました。

 

グローバルに、身も心も疲れているのは、私だけではなく

バブルの前で、日本を含めて、戦後の西欧社会が物質文明先行の弊害が蔓延し始めている頃でした。

 

 

 

 

 

OSHOの周りに集まる人たちというのは、人生の壁にぶちあったっている人達の集まりというのが私の印象でしたが・・

そういう西欧の人たちに、OSHOは自国でやっていた仕事を使ってグループという名の瞑想をさせました。

画家にはお絵描きのグループ、ダンサーにはダンスのグループ、マッサージ師にはマッサージのグループ、各種セラピストには各種セラピーグループというようにです。

それらはすべて、瞑想であって、カルチャースクールのような絵画の、マッサージの、各種セラピーのスクールではありませんでした。

 

 

   

 

私はマッサージグループを中心に多くのセラピーグループに参加しましたが、特に人の勧めで、一番最初に入った3ヶ月半のグループは、オイルワークのマッサージでした。

 

 

いかに人の体に、優しく、敬意を払って、注意深く、繊細に触れるかがこのグループでのマッサージ技術でした。どのように揉むか、どのようにオイルストロークするかではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして時が流れ、このアシュラム空間の異次元的くつろぎさに気がつき始めるのです。

 

 

私にとってそこはただ座っているだけで、リラックスし、平和で、喜びに満ちた、

これまで経験したことが無い異次元の世界・・・

(この異次元空間が私を生涯魅了し続け、揺らしのスイングボディの求める世界で、繰り返し説明している極楽のリラクゼーション~【赤ちゃん】の世界になるとはこの時気がつくはずもありませんでした。)

 

何もしないでいると、起こることが起こり、やがて芽が出て花が開く不思議な世界でした。

 

そこは何もしないということができるスペースでした。

それは光り輝く靄に包まれたかのようでした。

 

全く何もしなくても良い空間 !

胎児の時誰もが経験していた空間が、そこにありました。

 

 

 

《揺らし》ながら骨格をよりどころにして、脱力を促し、バランスをとる!

その最も良いお手本の先生が《赤ちゃん》だ!

がスイングボディのバックグランドですが、これは私の頭で考えたことではなく、

この時体験させられた事実です。

 

 

やがて日本でOSHOのセンターでスタッフとして仕事をしていた時は、まだオイルワークのマッサージをしていたのですが、独立し、独自の着衣の揺らす手法も確立した頃、私の想いが通じたのか、引き寄せの法則が現実化したのです。

 

 

品川駅前メリディアンホテルでのサロン店長の仕事が舞い込んできました。

私にとっては、念願のサラリーマン、OL相手にインドで経験したくつろぎを、彼等に与えられるチャンスを頂いたのです。

 

 

自分がインドでOSHOの子宮の中で癒された貴重な体験を、無意識のうちにマッサージの中に入れて行くことになったのは偶然ではなかったのです。

 

 

 よく私のサロンに、外国のロッキングスタイルのマッサージを真似しているのだろうと、見学しに来られる方がいますが、それはまったくの見当違いで私の揺らしは全くの自然発生的に起こりました。

 

 

しかしいつ頃、揺らし始まって、いつ頃私の揺らしのマッサージスタイルになったかは?はっきりしないほど、本当にいつの間にか自然発生的に揺らしの手法が確立していました。

それは本当に本当に不思議なことで、無意識レベルで いつの間にか誰かに、やらされていたかの様でした。

少なくとも私の頭で論理的に組み立てたものではありません。

私の身体が疲れた人を、悩み深き人を自然に揺り動かしていました。

想いは ただ 疲れている人を前にして インドで経験した 「くつろぎ」 をそこに在らしめただけでした。

 

 

OSHOが直接働きかけていたマッサージトレーニング後も、つまり彼の死後も、数々のセラピートレーニングをOSHOコミューンで受けました(ブレス、ブレスインターンシップ、バックケア、日本人の為のセラピストコース、キネシオロジー、クラニオセイクラル他、数々のミスティックグループを、ほとんどサラリーマン時代に貯めたお金すべてを、この10年間につぎ込みました。

 

 

軽くアウディが買えるぐらいの金額を投資しました。

ここOSHOマルティバーシティは当時、少なくとも和尚が生きていた間はアメリカのみならず、世界の最新セラピーのメッカだったと思います。

 

 

私はここで開かれていたセラピートレーニングをことごとく受けた日本人の一人でした。実際、エサレン研究所を始め世界の名だたる精神科医、セラピストが、(いや悩み深き壁に打つ当たっている人たちでしたが)呼び寄せられている不思議な場所でした。

この時代は一生懸命に勉強しました。実際与えられた教科書を英語を読むのは大変でしたが(笑)

 

   

 

しかし私がことごとく受講したトレーニングはどれも有益でしたが、その後悩める人に自分流のボディワークを施す時、インストラクターから学んだことは、私のセラピーの柱にはしませんでした。

 

 

結局は私は今彼らと同じようなセラピーをしているのですが、和尚はセラピーは瞑想の下ごしらえ以上の物とは捉えておらず、とかくセラピストが持ちやすい独特のエゴを和尚は常にジョークでからかっていました。

 

 

「誰の人真似もしないこと、誰の後にも従わないこと、さもなければ あなたはただの偽物になってしまう そして、それは自殺より悪い あなた自身でありなさい そしてはじめて、あなたは責任ある真正で 本物の人間になれる 」

OSHOの言葉にならいました。

 

 

マッサージを使って、OSHOの説く瞑想を人に教えることは、自分には無理だと思いましたが

首肩腰背中の緩め方という形では、根拠のない自信がありました。

 

自分の使う揺らしは もみほぐし、押圧、ストレッチーよりも深く「くつろぎ」をもたらすという自信でした。

 

 

後年その くつろぎを 人に教え始めると 不思議なことが起こり始めました。

OSHOの言葉が、揺らしのマッサージの中に蘇っって来ました。あっ教えられていると感じました。その連続の30年と言っても良いスイングボディ でした。

 

 

品川駅前メリディアンホテル・サロン店長 10年が次の私の修行場でした。

これほど恵まれた修行の場所はなかったと思います。

 

 

品川のメリディアンホテルで働き始めて

ホテル内のサロンでは、最初の2、3年は経営は苦しい日々が続きました。

当時ホテル業界は、結婚式場で稼げて当たり前の時代から、

苦しいリストラの嵐が吹き荒れる不況の時代でした。

だからこそ私が入り込める隙間があったのですが・・・

 

しかし、ここはスイングボディを進化させるのに、とても良い場所でした。

まるであらゆることが、スイングボディ進化の為に御膳立てされているかのようでした。

 

 

それは一流のダンサー、アスリート、オーケストラ、K1選手、大企業の社長、会長、がブラーッとサロンに入って来てくれる場所でした。

隣りに高倉健、麻生総理、河野洋平、その他 そう簡単に声をかけられない有名人が出入りする床屋さんがあったのもラッキーでした。

 

 

名前は忘れましたが、彼は以前 パリ・オペラ座に所属していたダンサー (上の写真)

 

私はこれらの一流の人に声をかけるどころか。彼等の身体を思う存分触れる事が出来たのです。

 

ブラックプールチャンピオンが違うブラックプールチャンピオンを紹介してくれるという信じられない事が起こっていました。

 

 

 

そのチャンピオンが言った言葉を今も忘れません。

体の疲れは ダンスの練習で調整する。まぁー強いて言えば 胸が疲れているかな?

信じられなかったです。腰背中が疲れたという人が当たり前なのに、胸が疲れているという人にお目にかかった事がない。

 

そしてそこで学んだ事は 超一流の人は 体が柔らかい!赤ちゃんに近い体をしていたのです。

軸ができている。クリエイティブでハートフル!

メンタル面で 超明るい!

サロンに入って来た瞬間 サロンが明るくなると言った方が良い。

 

その時の心理状態で体に不必要な力を入れてしまうようでは世界のトップにはなれない!

 

 

頭で余計なことを考えない!

つまり頭スイッチオン・オフが使いこなせる

達人の当たり前に持っているメンタル性です。

 

 

つまり首肩腰背中が疲れるというのは、悩み深き、頭を四六時中動かしている 我々、凡人の傾向であり、

自分の可能性を最大限花開かせ!輝いていて、頭スイッチオン・オフが使いこなせる 

一流の人は 首肩腰背中が凝るのは縁遠いことになるのではと気が付き始めました。

 

 

しかし、世界でトップの座にいられる期間は短い!

またトップの座から引きずり降ろされ、それを求めて四苦八苦すると、「頭スイッチオフ」状態から遠ざかり、首肩腰背中が凝り始める!

これが悲しい人間の性(さが)なのかもしれません。

事実、ベジャール、パリ・オペラ座のトップとナンバー4では体の出来具合が違っていました。

 

 

この状態は、光り輝いている 野生動物にも当てはまると思いました。

首肩腰背中が凝る野生動物はいない。

ましてや首を寝違えるキリン、坐骨神経のライオン、腰痛のゴリラ、五十肩のテナガザルはいない!

そして頭を使う能力が無い 人間の赤ちゃんも野生動物の範疇でしょう。

 

野生動物から見れば、首肩腰背中が凝る人間とは病的傾向を呈していると思います。

 

全て今YouTubeで流しているスイングボディ の解説内容は、このメリディアンホテル時代学んだことです。

 

 

時には総理大臣や大物政治家がサロンの前を通り、

時にはブラックプールチャンピオンや、時には高倉健さんを始め超有名人がブラーッと入って来てくださりました。

 

 

そしてもう一方の極の 人気が落ちた 芸能人、ニュースキャスターや、

深夜になるとホテル客を装って、娼婦が現れ、

時には人生に疲れ、明らかに死に場所を探していると思われる自殺願望者?の泊まり客もいました。

彼らがサロンに入って来ると、サロンが暗くなるのです。

世界のトップダンサーが入って来た時と逆でおかしかったです。

 

世界のトップの人の体と、もう一方の極の人々の体の両方を触れる機会を与えられたのはラッキーでした。

 

 

全てスイングボディ を進化させていただくためのお膳立てでした。

 

 

ゆらしを使ってのマッサージを教えてみたら?

と生徒さんに今から19年前に言われたのがスクールを始めたきっかけでした。

 

しかし そう言われた時、内心、教えるのはもったいない!と思いました。

 

 

インドで10年、それまでサラリーマンで稼いだお金、全てを使って、長い時間かけて、作り出したテクニックですが、いつの間にか自然に揺らしていたので、簡単シンプルな手法なので、

誰でも簡単に出来るものだと信じて疑いませんでした。

教えるのは簡単で、週に1回 2時間程度で 5回ほど教えれば誰にでもできるものと思いました。

 

 

ところが教え始まって、驚いたのです。

 

 

私の揺らしを生徒さんにいくら教えても伝わらないのです。

 

 

足を揺らすにしろ、腕、胴体を揺らすにしろ、私の揺らし方と、生徒さんの揺らし方が、全く噛み合わないのです。

 

 

どうしてこんな簡単な “揺らし”  ができないのか?

と腹立たしくさえ思いました。

 

 

すると多くのことが見え始めました・・

今まで自分が無意識にやっていたことが、たくさんたくさん見え始めたのです。

 

 

まず第一に、わたしは骨格を揺らしていると気がつきました。

それは驚きでした!

 

わたしは知らずに、お客さまの身体の中の

【骨格】を揺らしていたのです。

 

 

  そしてそれに止まらず、

まるで機会の振動を与えるかのような生徒さんの揺らし方と私の揺らし方のもうひとつの違いは、

 

私は、【脱力】を促していることに気がつきました。

 

 

 

つまり骨格を使って、脱力を促していたのです。

 

何の為に?

 

それはその人を楽にしてあげたかったからです。

 

悩める、頑固なコリ疲れの塊の OLさんやサラリーマンの癒してあげたかったのです。

かつての自分の姿であった緊張の塊を思い出しながら

 

 

インドで経験させていただいた極楽のリラクゼーションを

そこにあらしめようと必死にしていたのです。

 

 

緊張している身体は、無駄な力が入っていて、常に頭が忙しく働いている。

それはかつての自分の姿でした。

 

 

 

ですから 私が疲れている人を楽にしてあげようとする時!

骨格が浮くという形での全身脱力と、頭スイッチオフという、私が長年求めて止まなかった

心の平安経由の首肩腰背中の緩め方が生まれたのです。

 

 

そしてこれが今の現代社会の 頑固なコリ疲れに 効くのです!

 

 

あらゆる体の不調に効くのです。

 

 

それは今まで述べたように、ぶらりとサロンに入ってきた世界のトップの方々、試合前のK1選手(妻と私が施した全てのK1選手が翌日試合で勝利していました)

ゴルフで疲れている会社の社長、会長、

お医者様~定期的にあらゆる医師会の総会がホテルで行われていました。

特に整形外科のお医者様は、体が疲れた時、私のようなところに来るのが面白かったです。

 

 

揺らしを使ったこの手法は

更年期障害、万引き癖、自殺願望者、鬱、腰痛、坐骨神経、肩凝りの一般の人々すべてに効果がりました!

 

 

ですから、スイングボディの手法は、揉みほぐし、押圧、ストレッチ、オイルストロークの代わりに、《頭スイッチオフ》を使っていることを知って欲しいのです。

 

 

スクールで解りやすく生徒さんに理解して頂くために!

無意識にマッサージの中に取り入れていた極楽のリラクゼーションをわかりやすく説明する必要がありました。

 

 

それが《子宮内で浮いている時から3歳児までの赤ちゃん》としたのです。

 

  

 

誰もが知っている経験していることですから、思い出してもらえば良い!

 

 

これも頭で考えたのではなく、スクールで生徒さんに教えながら気がついたことでした。

 

 

それは的を得た表現だと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

教え始まってスイングボディ は進化が加速されました。

 

 

インドで体験した深いくつろぎを母体として、いつの間にか形となった揺らしのスイングボディ!

 

生徒さんに教えながら、それを論理的に体型づけて行く作業がこのスクールでした。

 それは本当に、不思議な作業でした。

 

 

何かを知っている人間が、生徒に教えるのではなく、何にも知らない人間が、生徒さんに教えられ続けるスクールでした。

 

⚪️  骨を揺らすとは、脱力を促すこと

⚪️  お手本は赤ちゃん

⚪️  フィジカル的には骨が体の中で浮き

⚪️  メンタル的には頭で何にも考えていない

 

⚪️  それをマッサージベッドの上でお客様に体験してもらうこと。

 

⚪️  それは相手を変えようとしない脱力のお誘いであること。

 

どんどん理解が深まって行きました。

 

 

⚪️  脱力を促しているだけでなく、同時にバランスをとっている

⚪️  イヤイヤ、施術者がバランスを取るのではなく、お客様の体自身が自然に取る。

 

さらに、

⚪️  全身の骨格が浮くということと、頭が何にも考えていない(頭スイッチオフ)は、同じ意味をなす同じコインの裏表であること。

 

⚪️  首肩腰背中の凝り疲れとは、その人が無意識に入れている、不必要な力、不必要なコントロールと定義できること。

 

 

そして今も進化し続けています。

 

 

教えたというより、教えさせていただき21年です。

感謝以外何もない!

学んだのは私だけ?

学んだことで、地球を救うお役に立てなかったとしたら、

OSHOに本当に申し訳ない。

 

 

ですから、生徒さんにも早く教える立場になって欲しい

と、いつも思っています。

 

 

そして自分の技術アップのためのティチャーズコースも開設しました。

愛と、笑いと、気づきをもたらす 先生募集中です。

 

    

 

そして今 品川から赤坂に

サロン&スクールジーバンは移転!

これからも頑張ります。

 

 

www.jeevan.jp