ウィーンへ行ったときにフロイトがかって住んでいた家に立ち寄ることができました。そのときの記録です黄色い花
・・ココロのビタミン・・

ウィーンでは音楽家をはじめ、著名人の住居がそのまま博物館になっていることが多いですが、
ウィーンのフロイトの自宅も、博物館になっていました。
ベルクガッセ19番地(Berggasse 19)にある この建物(↑)は、40年以上
フロイトが家族とともに住み診療を続けた住居です。
(ウィーン市内の北部、環状道路の少し外側、中心街から歩いて行けるところにあります)

1938年にナチスがウィーンを占領したのを機会に、ユダヤ人迫害の危機が迫りフロイトは
ロンドンに亡命します。そのときに、家具や備品はほとんど持ち出していたため、
当時の部屋の様子は、写真が展示されているだけです。
でも、窓からの雰囲気、写真などを眺めながら、
当時の様子を想像することができました。

サロンの一部分は、当時のままの家具と共に展示されていました↓
・・ココロのビタミン・・

 フロイトは精神分析の創始者として知られていますが、最初は、神経学者として
神経繊維の染色を顕微鏡で調べるというような研究を行っていました。
その過程のなかで、神経細胞と神経突起が一単位をなすこと、
現在のニューロン理論の基礎となる着想を発表し、
さらに臨床神経会として失語症の全体論についての理論的な貢献を残しています。
現在の精神科医療において、治療技法としての精神分析の役割は
大きくありませんが、フロイトの心理学は、精神医学に大きな影響を与えました。

例えば、ユングの分析心理学もフロイトが創始した精神分析がなければ
生まれなかったかもしれません。無意識心理学の流れの源泉となっていますし、
フランスのラカン学派、スイスの現存在分析学派
イギリスのクライン派、対象関係論、米国の自我心理学、
さらに自己心理学等の流れを生み出し、それぞれの流れが
各時代文化の中で、精神医学の人間理解と精神療法に
豊かな活力を生み出しています。また、
精神分析が精神医学の範囲を超えて、二十世紀の思想や
芸術に及ぼした影響は計り知れないものがあります。

・・ココロのビタミン・・

 1891年8月、フロイトは、ここベルクガッセ19番地の家に住み始めます。

最初に借りたのは2階の東側半分。1897年にさらに1階の3部屋を借り、

待合室と診察室、書斎として使いました。

そして1908年には2階 の西側半分の部屋が空いたのでそこを借りることにし、

1階の方は引き払いました。
・・ココロのビタミン・・
 

フロイトの診察室は、エジプト、ギリシア、ローマなどの遺物で飾られ(↑)、

あたかも考古学博物館のようだったことはよく知られています。


このアパートでフロ イトは精神分析を行い、さまざまな重要な著作を記しました。
 

フロイトがこのアパートを去ったのは、1938年6月4日。

(この年に、サルバドール・ダリがフロイトのもとを訪れてフロイトを描いています)

ナチスがオーストリアに侵攻したため、ユダヤ人であったフロイトは

ウィーンを去らざるを えなくなったのです。

ロンドンに着いたフロイト一家は、まずセント・ジョンズ・ウッド地区の

エルズウォージー街39番地の家に入ります。


9月3日からウォ リントン広場のエスプラネイド・ホテル

(現在のホテル・コロネイズ)に一時身を寄せ、

9月16日にメアズフィールド・ガーデンズ20番地の家に移りました。

フロイトは1939年9月23日に83歳で死去するま で、

この家で暮らし、現在フロイト博物館となっており、

ウィーンの博物館と違って多くの遺品が展示されているようですブーケ2

ロンドンに行ったときには、訪れてみたい場所のひとつです女の子


クローバー収集家としてのフロイトに関して書かれているURLのリンク→★★★