最近は、セルフヒーリングでこまめに灰汁や雑味を抜くように、心身エネルギー体に溜まったり新たに湧いてくるネガティブな感覚を昇華させている。

日々新鮮な刺激を求めて動き回っていろいろやっていた時には、その時々で対処していてはいても細かく対処していなかった事もあった。

謎のブラックなところに引き合うところを解消したくて始めたこともあり、臭そうと思ってわざわざ嗅ぎに行って確かめるような癖を徹底的に見直し中。

ヒーリング等で変わったと言う人でも、その時はしばらく新たな気持ちになっていても、新鮮さが薄れて日常に戻っていくと相変わらず、ということも割とある。
変わった部分を意識して行動も変えていかず、同じことを繰り返していたり、変わっていくことに馴染めなくて戻っていく人も。
変わるって、心身のエネルギーを使うので、腹を据えて向き合うとか、覚悟は必要かも。

感情が枷になってエネルギーが動きづらい事も多いので、こまめにエネルギー分離して解消するようにしている。
自動で対処するようにプログラム化して、たまに必要そうな処理を加えたり、最近また改良している。
プログラムを作った初期バージョンを他の方にお試しで使っていただいた時は、良かったとご感想をいただいた。

プログラム化していないと一からエネルギーを観ながら対処していくので、気持ちや体調等に左右されるような気もするので、自分が安心安定して向き合える。

プログラム化の仕方がちょっともったりする感じもあるので、もっと洗練された形に出来ないか、試作中。



余談だけど、溜まったエネルギーを雑味を抜いたら、料理の味が以前より美味しく出来たと思う度合いが大きくなっているように感じる。
作ったものには、作り手の残留思念が残るから、そういう事もあるかと思う。

鏡開きしたお餅も、いつもの年よりアレンジも増やして美味しく調理出来た。
普段の料理も、そんなに凝ったものでなくても、ささっと作ったものでも、美味しく出来ているし、だんなさんにも思わず美味しいと言ってもらっている率高い。

味見もするし基本的にまずいものは作らないし、体調等にもよるけれど、美味しいと思わず感じるものは、必要としているエネルギー状態に整っているということもある。

味は美味しく感じるけれど、何となく美味しくない、美味しいと感じきれないことって外食とかであるのも同じ理由かと。

喉って、コミュニケーション関連のチャクラもあって、私は受付けないエネルギーが漂っていると咳き込んだり吐き気がする。
目に入るものだと、焦点が定まりにくかったり、難しいこと書いてないのに頭に入ってきにくいこともある。

以前は、毒を食らわば皿までとか、毒を以て毒を制する的な耐性をつけて強くなるとか思ってチャレンジもしていた。けど、そういう耐性を持続するのにエネルギー消耗するし、重たさや雑味も増えて逆に処理能力が落ちていったので、今度は雑味を徹底的に抜いていったらどうなるか。

ブログ記事も、もう合わない記事は消したりアメンバー記事にしている。
アメンバーはいないので、自分の記録として保留にしているだけ。
諸々断捨離中。