最近、いろんな霊能者の実話マンガから、ワークネタ仕入れてます。
怖がらせようとおどろおどろしく描いてあるものも多いけど、こういう仕事していますと、第三者(漫画家さんや編集さん)との対談解説付きのものとか。
対談では無くても、第三者の漫画家さんが描くにあたって質問している描写とか。
本人が書いていたら特に書かないような客観的な視点が入ると、多少 何がどうなっているか描いてあって面白い。
いろんなタイプの人がいて、面白い。
そんな中で、改めて思うのは、
目に見えないエネルギー領域の範囲でやれる事と現実面でやる事の匙加減を観ないで都合の良いところだけ拾って、苦手感じるところはやらない。現実面で動いていかなければ上手く回らないようになっていることもあるので、エネルギー領域だけでは現実面が動かない。
未来に出来る可能性を観ても、その為の行動を起こさなければ、可能性だけで終わる。
エネルギーワークと実行力の両輪を上手く使ってこそ。
エネルギーワークだけで何とかしようとすると、地に足が付いていないと言われてしまう。
都合の良い妄想で終わるかは、本人次第。
やりたい事を明確にして、
でもガチガチに頭でっかちにならずに、
自由な未来を創っていくためになってこそ
エネルギーワークを「使える」といえる。
もう一つ、エネルギーシールドの問題。
超感覚でを使っていくなら、強い意志と防御力は必須。
観ても対応出来ないなら、初めから観ない関わらない鈍感でいた方が最強。
観て感じてしまった事で下手に関わられたりすがられても、障りが出てしまうだけでマイナスしかない。
一緒になって落ち込んでいくような下手な同情より、キッパリ突っぱねる方が対応できる他の人に繋がる可能性もあるかもしれないし。
出来ないなら受けない。
やってみて出来ないじゃなくて、最初からやらないくらいの方が親切。
以前はチャレンジ期間だったので、目の前に現れたものは基本的に対応できるから回ってきたの訳で、初めての事でも断らなかった時もあった。
しかし、今は自分で選ぶ感覚を養う選別期間なので、モノによっては断ります。
シールドの張り方も人毎に違うのを、実際にいっしょにエネルギーワークした人達と比べたり、いろんな本でも観てきた。
これも信念によって違ってきてしまうので全く同じでなくて当たり前だけれど、私が初めの頃は床下10cmみたいなシールドしか張れなくて、ずっと思考の整備と改善をしてきた。
平等公平に人をみて、昔の青春学園ドラマの先生ばりに、みんな受けて止めてやるからこの胸に飛び込んでこーい!みたいなシールドだった。
過去生由来で、そういう立場だった名残。
でもそれは最善の対応ではなく、個別の対応は臨機応変に変える必要があるもの。
最近、かなりがっしりしたシールドを張れるようになったら、一律で跳ね返し過ぎて必要な情報や繋がりも受け取りにくくなってしまったので、加減や調整をしていた。
一回張ったら終わりじゃなくて、生きていて状態が常に変わっているなら適宜調整が必要。
その選別のためにも、どうしたいか自身の生き方の意図ははっきりさせておく必要がある。
シールドって、グラウンディングってどうするの?という時には、いろんなところで販売されているアチューンメントも使ってみるのもあり。
人によって違いはあるので、どれを選ぶかは直感で。
アチューンメントや波動浴みたいなものは、ストレッチ補助用具みたいなものなので、しばらく使って感覚が掴めたら必要なくなってくるかも。
物足りなくなったら違うものを試したり、自分で作って試行錯誤していく。
去年の今頃の桜
2021/3/27の桜