先日読んだ本の霊能者のお仕事について、お知らせの意味で身近の人が亡くなっていることは、絶妙な配置でそういう事が起きているとのこと。

亡くなった方は天寿を全うされているんだけど、それを見た人的には必然の警告になっているという。
身近で次々に起こっていると何かあるのではと その人目線では思うだろうけど、其々の人の必然が絶妙にセッティングされているだけで、その人のせいで亡くなっている訳ではない。

以前プラントのセミナーで、絶妙な絶対的な配置で全ての生命や物事のバランスが取れて配置されているのを観て感じたので納得。

頭で知っているというのと、超感覚的にわかったと思える感じの違い。
個人的な思い込みとも、全然違うように感じる。

超感覚的にわかった事と、強い思い込みとの区別がついていない人いるけれど、誰でもキャッチした情報は自分の中にあるもので解析して理解するので、その人なりの出し方になる。
想像の思い込みとの違いでいうと、できない事がある感じ。
超感覚的を習いたての頃、都合よく出来たことにならない事を観て、単なる想像と違う事を実感したので気にするところ。
その人の想像だと、都合よくスイスイ変えやすかったり、支離滅裂なご都合主義か。

論理的にわかりやすく納得しやすく説得したり、お話作っちゃうのとも違う。

表現の仕方の違いということもあるけれど、同じものを観ていたら全く違うという事はない。

あまり存じ上げない方に、ソウルメイトで一緒に○○するとか、一方的に言われた時はドン引きした。
ずっと友達とか、微妙と思った(多分思い込み強め)人から言われた事あるけど、人付き合いって宣言や決めつけで続かない。

多分、エネルギーシールドの壁が低めせっていだったのと、グラウンディング感強めの安定感があるらしい(自分ではわかりにくい)ので、寄りかかりやすそうなところか、都合よく使えそうと思ったのか。

前出の方は、他にもあることを霊視したとご自身の事を話されていたのを聞いていて「ん?」って思ったのが、最初の出だしは観たことっぽかったのに話している内に頭で考えた連想ゲームっぽくなっていた。
それを聞いていた他の方も、後で あれちょっと...と話されていたので、連想や想像力が豊かな方なのかも。

私の場合は、話すと脳波が覚醒状態になるのでちょっと待ってもらって観たものをまとめてからゆっくり話すか、話しながらだと途切れ途切れに確認しながらになる。

霊視の観え方は、映像にしろ言語化にしろ人によって脳内処理の癖もあるし、その人の人生だし、違う価値観で生きているから別に本人が納得できていればいいと思う。
関わるかどうかは、ともかく。


例えば、そんな人が続いて現れてモヤっとして気になったら、自分の「人生設定」の変え時かも。

でも、安定した設定を変える時はパワーが必要だったりするので、よっぽどのことがないと変えようとしないのは あるある。
一回のモヤっとくらいだったら別に気にしないけど、小さな内に気付かないとアラームが大ごとになっていく。

そういう時の、身近で人が亡くなる警告だったのかも。
お話になるくらいなので、よっぽどの変え時だったのでしょう。

たとえ偶然のようでも、何か理由があって必然で出来事は絶妙な配置で成り立っている。

潜在意識の都合の良い現実の設定は、顕在意識では良いと思えないけれど、理由があって成り立っている。