労苦の雲の上は、澄み切った宇宙が絶対にある | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

皆さま、お久しぶりです。
夏があっという間に過ぎちゃいました。


前回の記事のあと、私のPC(自宅も医局も)に対して不穏な監視があり、実態が判明するまでマウスのクリックだけで耐え忍んでおりました。
詳細は公開できませんが、正体は判明しましたので、アメブロも、再開いたします。


早くもインフルエンザが流行り始めています。
ワクチンは不足しているようです。
感染対策の基本は、うがい・手洗い・マスクとともに、十分な睡眠と規則正しい生活。
お体には十分大切になさってくださいませ。

 

 

 

アメーバピグ

 

チョキチョキ~♪ねずみの王様とお人形イベント!!

 

とっても久しぶりに、オールナイトでSTEP8の最後までクリアしちゃった。

夕方からパズルを始めて、気が付いたら、空が、うす明るくなってました。

 

パッチワークのお人形の洋服/girl

ねずみの王様のコートに、女子限定お人形のヘア/girl    

ねずみの王様カチューシャとまんまるほっぺ

お部屋の壁や窓

など、早い者勝ちのものも含めて一式、

ゲットしちゃいましたん\(^-^)/

 

たまには、いいわね。

 

 

 

 



女心と秋の空・・・

秋の天気は変わりやすい。

 

某年9月中旬

この日は天気予報では晴れだったけど、登山口では曇りだった。


尾根の稜線に出ても、雲の中。

途中、何度も引き返そうと躊躇した。

このような場合、山頂についても雲の中で、雨になって下山に苦労することも何度もあったから。


それでも注意しながら汗びっしょりで登ること3時間。
登り詰めた1715mの山頂は、なんと、雲の上だった。


めったにお目にかかれない絶景。
まぶしい朝日に、広大な雲海と、壮大な富士。


この絶妙な時間空間と一体となった歓喜感激。


これこそ登山の醍醐味。
労苦に汗する挑戦の素晴らしさ。




登山に限ったことでもなく、日常に直面する様々な困難においても、
労苦の雲海を、こうして見渡すことができれば、それがとっても素晴らしいことが分かる。

雲の中にいるときは決して見えないし、

このこと自体が臆病風になる。


そんな、躊躇した時や行き詰まった時でも、多少のリスクがあっても果敢に挑戦することこそ、充実した瞬間が続いていく。
失敗しても、次の成功の因となる。
労苦や困難から逃げたり避けたりしたら、一時的には安泰であるが、不安と後悔が残る上、成長も前進もない。


人生80年といっても、今この一瞬一瞬の積み重ねである。
快楽主義・刹那主義には希望がなく未来がないといわれるが、未来だけでなく現在の充実もない。
一種の麻薬中毒に似ている。

 


 

せっかく、動植物ではなく人として生まれてきたなら、この一瞬に、


何のために生まれてきたのか。
何のために生きていくのか。


今という一瞬に、人間としての意義がなければ、その連続である未来にも、人間としての意味がない。
つまりは、いくら長寿であっても、意味はなく儚い。


短命であっても、最期まで目的をもち使命を果たす一瞬の連続であることが、最高に幸福な人生といえるのではないか。



人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、
百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも 名をあげん事こそ大切なれ、

・・・・崇峻天皇御書(三種財宝御書)


人間として生まれてくることは、極めてまれなことであり、大地の土から爪の上にようやく乗れた土のように、極めてわずかな存在である。
また、たとえ人間として生まれてきても、生き延びていくことは難しく、微々たる揺れで落ちてしまう草の上の露のように儚いのである。
たとえ、百二十歳という長寿であってもくだらない一生で終わるよりは、たった一日の命であっても立派な行いを貫く事こそが大切である。・・・(私風現代語訳)





少子高齢化社会を迎え、
いくら年を重ねても、尊敬に値しない残念な人たちは多い。
周囲に老害をまき散らしている。
逆に、立派な行動をする若者もいる。


善い行い・善業を積み続けていけば、
肉体は衰えても、心は、その分だけいくらでも大きくなる。


心が残念な人は、それまでの善い行いが乏しい結果であろう。


死によって、富や権力などは、来世に持っていけないが、
大きくなった心と福運は、善業となって、次の生へ引き継がれていく。

 

私たち生命は、それぞれ一瞬一瞬を、その時点で最善と考える選択を続けて生きている。

しかし、無知・無明のため、それらの選択が必ずしも良いとはかぎらない。


紛れもなく、現在の真実の姿は、過去世遠遠劫から現世に至るまでの自身の行動の結果なのであり、いかに正論や言い訳や誤魔化しをつかっても、偽ることができない事実。

そして、その姿・現在の行動のすべてが、厳然と次の一瞬一瞬の未来の結果をもたらしながら連続していく。

 

悪業ならきびしい。

善業ならラッキー。


仏法では説かれている、厳然とした因果応報である。

だからこそ、正しい法則にのっとった、正しい選択・善き選択と行動を、これからも一瞬一瞬続けていこうと思う。


諸行無常 是生滅法・・・

 

様々な宇宙・時空を包含する正しい仏法が、日蓮大聖人が説いた南無妙法蓮華経である。

 

 

 


心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ

未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」・・・開目抄(日蓮大聖人御書全集P0231)


心地観経には、「過去に、自分の積み重ねてきた原因のすべては、結果としての現在にすべて現れている。

同様に未来の結果としての姿を知りたいなら、原因となる現在の有様を見よ」と・・・(私風現代語訳)



蔵の財よりも身の財すぐれたり
身の財より心の財第一なり、
此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし。・・・崇峻天皇御書(三種財宝御書)



蔵にたくわれる財産よりも、身に積み重ねる財産がすぐれており、

その身の財産よりも、心に積んだ財産が第一である。
この文を御覧になってからは、心の財産を積んでいきなさい。・・・・・(私風現代語訳)