サレンダーsurrender 手放しは…
すべての幸せの始まり
わたしの内側に すべては主が来ること
後ろの正面は だあれ?は 鏡🪞だったわけ
松果体の映し出した 透明な鏡に氣付くこと
幻想に氣付くことが すべてのはじまり
統合する為に すべては起こっていたわけです
それは、誕生日にやって来ました。
あの、4ヶ月の関東の武者修行は…
その後の、1ヶ月にすべて幸福へと
オセロがまたまだ、黒から白へ 全部変わっていきました。
すべては、波動なんだ。
瞑想にて、真の自分と繋がって、ワンネスですべてはひとつであると、知ることだ。
わたしに、しなければならないことは
何もない。
では、その後、どうなっていったのか?を
実録で、明日から書いていきます。
ガイドは、あなたを幸せに導いている。
必ず!!
手放しは、ヨーガでは 放擲(ほうてき)と言うそうな。わたしの今のガイドは、ウパニシャッドとかその辺りのガイドがよく出てきますね。
数ヶ月前に、わたしのガイドは
バカヴァットギーターとだけ伝えた。
バカヴァットギーターに
放擲(ほうてき)が出てくる。
『バガヴァッド・ギーター』ではさかんに「知性」や「知識」の重要性が説かれる。
さらには「知識の祭祀」に傾注するべきだとも説かれる。こうした「知」の重視は西洋と変わらない。けれどもそのうえで、それらの「知」を放擲することで秀れるのだとクリシュナは訴えた。
こんなことを西洋哲学では、めったに提案しない。しかもクリシュナは、たんに放擲するのではないと言った。
どこかに「捨てる」のでもない。捨てるだけなら放下でもいいだろう。そうではなくてクリシュナのほうへ向かって、もっといえば
他者のほうに「委ねる」ように一挙に放擲されるべきだというのだ。
まさに、これが