【個人的な話】熊野編。
調子が良いときは…
本当の自己に繋がり
人がどうこう言おうと次にやる事はわかっている
この状態なら 人は幸せだ
エネルギーに 溢れている
だが、停滞期。みたいなものはいつでもあり
そんなときは、魂のステージが ひとつ上がるときだと思う。何をやっても、うまく行かない。
自分自身では自分のことだから、本当はわかっている。繋がっているときは、はっきりと違うものは違うとわかるから、違うのに惑わされないが…
ズレている時ほど、自信をなくすし。
わからなくなっているから、迂闊に
他人のアドバイスや言ったことに惑わされる。
自分からズレると 大体カラダもズレている。
(内面が一致すると体が治るときもある。わたしの場合は、歯の噛み合わせが上下ピッタリになる。)
熊本の知人が日田に来た際
簡単に快医学を、してもらったのだが
頭蓋骨や足を3月頭に調整してもらったのだか、整うと急にメッセージが入ってきた。
体がズレていたら
入って来ないという事もある。
これは日田の野村整体の知人でもあったことがある。普通の整体ではならないけど。
メッセージは『ハートを開きなさい』『たまを取りに行きなさい』だった。
『玉?』『珠』のような氣がする。
ハートの方はなんとなくわかったが。
それにはのちに行く、熊野が関係していた。
全国を魂の旅は終えていたので、ラストに和歌山に何かあるのは以前の旅からわかっていた。
かくして、わたしは『たま』を探しに行った。
そして、『たま』を理解した…んだろうが。
ふと、たまの解釈を探していたら。あー
コレだ。という文章に出会えた。
思い通りになる時期は、何でも思い通りになる。が、魂のステージが上がると、前より難易度が上がる。
前とは違う課題に、前とは違う精妙なエネルギーにもなる。ああ、これなんだ、とわかった。
勤行の3日目に、お経で泣いた… 自分がやるべきことをやっているときは、きついが。
お経の中に、そんな人には龍王が離れないと書いてあった。確かに速水神社でそう感じた。わたしは、守られているんだ。。そう思った。
なぜなら、直感がすべて
120%当たってばかりだったからだ。
だから、信じろ 信じろ 自分を信じろ
としか 言われていなかった。
そして最後の御堂でも、やはりお経の最中に
わたしは、記憶を取り戻したのだ。
それを、後にキッチンで和尚に話したら、おまえは料理人に向けて。本を書けと言って下さった。
そして、帰ってから偶然に、その中身と同じ文面を見つけた。陶彩画家の草場さんのHPの中に、お堂で味わった感覚が蘇る一文がありました。
「肉体はなくなっても魂は残り
与えてもらった愛は
形を変えてあり続ける」
それは、わたしがお堂で思い出した【鍋】の記憶
その想いでした 形はないけど在るものでした
*下の4枚の写真は、熊野リトリート
宇宙の底で踊れ❣️踊薬リトリート@熊野
この後、流れは高野山に向かっていった…