独逸の軍人にメッケルという一流の軍人が居ました。
明治初期、日本は近代化を促進していて、多くの「お雇い外国人」を雇いました。
その中で、この独逸軍人のメッケルも山縣有朋に請われて日本にやってきました。

彼の軍学では現地演習が唯一として是でありました。
陸軍士官候補生を連れて、多くの古戦場を視察しました。

そのなかで当然関ヶ原も回りました。

1600年当時の東西両軍の布陣図を見て
陸軍士官候補生はこう尋ねました。
「どちらが勝つと思われますか?」

メッケルは即断しました。
「西軍であろう。」

しかし、徳川家康の東軍が勝ったことは周知の事実でしょう。
士官候補生が「いいえ、東軍なのです」といっても
メッケルは「そんなはずはない」となかなか肯んじ得ない。

そこで候補生たちは当時の政治状況、大将としての将器、小早川勢への調略など様々なことを説明してやっと「それなら別である」
と納得したそうである。


そういった逸話はさておき、彼は非常に人を見る目があったといいます。

彼は候補生たちの中でも、最も児玉源太郎の才能に着目しました。
そして、メッケルをしてこう言わしめております。

「日本陸軍には私が育てた軍人、特に児玉将軍が居る限りロシアに敗れる事は無い。児玉将軍は必ず満州からロシアを駆逐するであろう」


日清戦争後の、日本の仮想敵国は当然ロシアであるので、ロシアのことにつて言及するのは当然です。

そして実際に、日露戦争が勃発すると
旅順要塞を攻めあぐねていた乃木希典に代わって指揮の全権を譲渡され、
果たしてたちまちに児玉源太郎は旅順要塞を陥落させてしまいました。
乃木将軍が4カ月かけてびくともしなかった要塞をです。

しかし、戦後のロシア将軍への処置が適当であったためと、児玉源太郎を飛び越して、乃木希典は一躍有名になってしまったそうであります。

なんとも皮肉な話です。