徳川幕府は、54年から55年にかけて、江戸幕府は欧米列強に代表される米英仏露蘭のうちフランスを除く4カ国と和親条約を結んだ。

オランダと和親条約を締結することは、一見当然と思われがちであるが、

これはクリミア戦争の影響である。

自分の専攻は日本史であるのでクリミア戦争についての詳しい言及はできないので省略する。

江戸幕府がこの時打ち出した政策としては「いかにして中立を保つか」ということであった。

そのため幕府は次々と欧米列強と不平等条約を結び、最終的にはフランスとも自ら求めて条約を結ぶこととなった。

しかし、それぞれが不平等条約であったため、その後の条約改定に、いかに日本の外交官たちが苦心したかはみなさんがご存じのとおりである。