幕府は衰亡していく。それが「時勢だ」「風潮だ」と一言で言ってしまうのは安易である。

幕末を識るに当たってその深淵にある原因をいつかは探究しなければならない。


貨幣経済の勃興

江戸幕府の封建体制と言うものは、俸禄は米でした。

ここで、参勤交代などのシステムによって貨幣が必要となってきます。

幕府は別として諸藩は米を商人に売ることによって「貨幣」を得ます。

戦国時代の気風というものは、暮らし向きは質素で入用はほぼ食費のみであったのだけども、この貨幣経済が注入されてくることによって上人と一部の町人が勃興する。

貨幣経済とは暮らし向きを奢侈にするもので歳入が「米」に対して支出は「貨幣」となっていき、時代が下るにつれて様々な出費が嵩んでいく。


幕末にならなくとも、この経済体制の欠落に気付き、「米」だけの収入では藩や幕府という「法人」を賄えないことに経済感覚のある武士は気付きます。

つまり年貢米の徴収だけではなく、片手間で副業をやらなければならない。そこで多くの藩は殖産興業を興します。

それが薩摩では琉球、清との密貿易、黒砂糖の専売制であり、

長州では紙蝋塩などの専売制、越荷方でした。


上記の様に殖産興業に成功した諸藩の一部が雄藩となり、幕末維新に大きな力となるのです。


幕府財政

それに対して幕府は無能であったか?いや、決してそうではなかった。

江戸時代中期以前の財政改革に今回は触れないが、江戸後期になり、水野忠成と言う家老が現れた。

彼は銀貨(天保一分銀)を発行するにあたって幕府の「印」を打つことによって

3分の1の銀の含有量にもかかわらず一分銀分の価値を得るということを考えだした。

江戸時代主要な銀山(すでに衰えつつあったが)は幕府の直轄であり、貿易も幕府が独占して銀を輸入していたため贋貨の私鋳といったことは起こらなかった。

そこに目を付けた水野忠成は銀貨(天保一分銀)を1枚発行するごとによって、天保一分銀の2枚の利益を幕府財政に得ることに成功した。

これを「出目」を稼ぐという。

江戸中期に勘定吟味役・荻原重秀がこのイリュージョンを使うことに気付いたが私腹を肥やしたために罷免されたという前例があった。


ともかく、このイリュージョンは幕末に於いてなんと江戸幕府の財政収入の36%を占めることになり、以降幕府はこれと言った緊縮財政をせずに、この銀貨イリュージョンを使うことによって財政を保ちえてきたのだった。

しかし、1858年に日米通商修好条約に基づき、通商が開始されることとなった。

それに伴い、為替レートが決定されることとなった。

が、列強諸国はこの政策を理解できなかった。ヨーロッパ諸国ではどうやら、

「銀貨が政府の印によって3倍の価値になる」ということはかつてどの国も行ったことがなかったようだ。

それはどうやら、個人的な見解であるが大陸続きである列強諸国は政府による銀の占有ということは不可能だったことに起因するようだ。


欧米列強、この場合アメリカ全権のハリスとイギリス全権オールコック、は幕府側の「天保一分銀=1ドル」という要求をはねつけ、(同種同量交換に基づき)「天保一分銀3=1ドル」という要求を、武力を背景にして幕府にのませてしまった。

つまり日本側は「4ドル=4=1両」を主張していたのに対して、「4ドル=12=3両」という主張を飲ませてしまった。

これによって何が起こるか?外国人は貿易地に於いて3分の1の物価で日本の商品を買い付けることができてしまう。

それ以上に金貨の流出と言う貨幣経済の混乱が起こってしまった。

金貨の流出とはすなはち、

「ドル(銀貨)を同種同量交換に基づき日本の銀貨12枚に交換すると、日本の金貨3枚に相当し、これを上海などに持っていくとドル12枚に相当する」という、

貿易をしないでも、とにかく殖財することができてしまったのだ。


ここで外交団は日本に対してこう勧告した。

「金価格を3倍に値上げしてはどうか?」と。

幕府はこの要求にも武力を背景にした列強の要求に屈してしまった。

そうすると、今度は「金の海外流出」という事態は防ぐことができたが、

今度は「物価の異様な高騰」を招いてしまった。当然である。

幕府は新しく「万延小判」を発行した。

これは従来の「天保一分判」1 枚を持っていけば「万延小判」3枚と交換してもらえるのだ。なので、民衆は争って両替商に持っていき、物価のとんでもない高騰を招いた。


「物価の異様な高騰」を招くと日本の社会にどういう影響を及ぼすか。

しかし、それに対して定禄俸給の武士たちは物価高騰に対する対抗手段を何ら持ち得ていなかった。

特に武士の中でも浪人たちはその日暮しであるために釣り上がるような物価高騰の影響を直裁的に受けてしまい、これが幕末期における治安の悪化に影響を及ぼしたのは間違いないであろう。


商人は物価高騰に対する対抗策として、商品を値上げするという対抗策を持っていた。