誰かのお役に、小さな使命? | 人生はrhapsody~ひたむきにメロディを奏でる ~

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肺高血圧のこと ぼやいて ほざいて
やがて 笑って受け容れるべく 
騒がしい毎日。

昨日は、循環器内科の外来。

阪急電車でゆく。最寄駅は、高速神戸。
ここから、病院に一番近い出口は、エレベーターもエスカレーターもない。

二年ほど前は、この階段を上ることが出来なかった。

有難いことに、今では、普通に歩いて上ることができる。少し動物的な息になるが気にしない。

昨日は、何と、カートと鞄と杖を持って階段を上っているおばあちゃんに声をかけてみた。おばあちゃんは、少しご病気が入っているようで、何も話さない、表情がない。それでも、カートは持ってほしかったようで、カートを無造作に渡してこられた。鞄もお持ちしましょうかと声をかけたが、それはお嫌だったみたいで、無言で階段を上り始めた。

誰かのお役にたてるまでに回復したことを有難いと思えるまでに、私も成長したのかな。

主治医の先生、今日は比較的お元気。お顔の表情が充実した毎日だよと語っている。

血液検査の結果と私の最近の状況を聞いて、入院して血流の検査をするのもありだけど、どう?入院したい?と聞かれ、ぶんぶんと首を横に振った。以前の私なら入院したいと言ったかもしれない。今の私は、今の体で何とかしようと考えられるように変わってきた。

ひと通りの流れが、数分で終わり、次の予約も入り、早くも次の患者さんのファイルを手にしようとした先生に、少しだけお時間くださいと、一年ほど前にも言ったことをもう一度、話してみた。

先生のお時間に余裕ができるときって、もはや肺高血圧症が難病じゃなくなっているときかと。
先生にお時間がないことは、重々承知しているが、力を貸してほしいと。

先生は、私の提案を受けてから、考えたこと、実際に動いたことなどを話された。

無視されていたわけではなかった。遅々とした歩みだが、先生も動いておられたのだ。

一歩スタート、いや、まだスタート地点には来ていない。

が、誰かのお役にたてるかもしれない。


以前、前主治医の先生に、私の肺はドナーになり得るのかと質問した時に、目をそらして答えなかった。じゃあ、心臓は?と聞いた私に、目をそらせたまま「なれないことはないけど、判断するのは僕たちじゃないから。」と答えられた。私の心臓と肺は、他人様のお役にたたないのだとショックだった。

ドナーにならなくても、何かで、誰かのお役にたてるかもしれない。

私の心臓と肺は、誰かのお役にたつために、そして誰かのお役にたてることを私にわからすために、ここまで回復してくれたのかもしれない。




(私が、一番好きな阪神間の風景、芦屋川)