2013 東北ツーリング ~石巻へ〜
5月4日 朝6時
チョコボに挨拶をしてから、バイクに荷物を積み込み
仙台のYASUさんのマンションを出発
この日は、石巻のヒロシとサクラのところへと向かい
その後、今夜の宿泊地である須賀川に向かう予定である。
宮城県内のルート案内は、昨日に引続き、YASU & みっちょんマネージャーに
お任せである。
朝8時、塩釜に到着
朝食抜きで仙台を出発したのだが
朝から海鮮丼はしんどいなぁと思っていると
こんなお店へ
塩釜でさぬきうどん?
と、最初思ったのだが
見るからに、港で働く方向けのうどん屋さん
お店の中に入ると、港湾関係者と思しき人のほかにも
普通の家族連れなどの姿も
決して広い店内ではないが、連休の中日、それも朝8時だというのに
満席状態
少しだけ席が空くのをまって、テーブル席へ
オーソドックスなところで、きつねうどんを注文
これが、文句無しに美味い
関ヶ原から東のうどんは、真っ黒い出汁と思っていたが
かつおだしの、あっさり味
まぁ、屋号が「さぬきうどん」なのだから
当然と言えば当然なのだが・・・
昨晩、飲み過ぎ、食べ過ぎた胃袋には
とても優しい おうどんでした。
腹も膨れてツーリング再開
この日、石巻までのルートはなるべく海沿いのルートでと
マネージャーにお願いしてある
R45を北上し、次に立ち寄ったのが、松島
宮城には何度も来たことがあったのだが
松島は、初めてである。
R45を左折し、西行戻しの松公園へ
松島の周辺は、さほど大きな津波の被害を受けなかったのか
松島湾の周辺の土産物店なども普通に営業はしていた
おそらく、湾の外側にある島々が
津波を防いだのだろうか
それでも、この高台の公園にあったカフェは
震災後営業を終えたままらしい
公園の桜の樹には、まだ少しだけ桜が残っていた。
しばし、松島の美しい風景を眺めた後
再びR45に戻ろうとすると、すでに激しい渋滞が始まっていた。
両サイドにパニアを積んだ、二人のバイクではすり抜けは難しそう。
ケン坊 先に行って、適当なところで待ってて
と、YASUさん
そんじゃと、お先に失礼して
R45を左折して、しばらく行った先のコンビニの駐車場の入り口近くに
Steveを停めて一服
しばらくして、YASUさん達も到着して、
缶コーヒーでブレイク
さて、出発という時に、YASUさんの パリだから号にトラブル
さっきまで、順調に走っていたのに、渋滞にはまったせいでバッテリーあがり
どうやら、最近同じような症状が頻発してるらしく
バッテリーケーブルは、常備していたので
Steveのバッテリーカバーを外して、ジャンピング
無事に始動し、再スタート
しかしこの時、Steveのバッテリーカバーがしっかり
閉まっていなかったのか、後々悲劇を生むことに・・・
そこからまた、3台で石巻へと向かう
ちょうど、この頃放送されていたドラマの舞台でもあった
ブルーインパルスの基地がある、航空自衛隊松島基地の近くは
この辺りも、津波による塩害なのだろうか
水の張られていない、田んぼが広がっている
前にここを訪れたのは、震災直後のゴールデンウイークだった
あの頃と比べれば、瓦礫は減ったが
今も所々には集積された山があり
処分が完了しているわけではないようである。
あの頃は、少し小高い場所に
数字だけの書かれた墓標をたくさん見かけたが
今回走った限りでは、目にする事はなかった。
予定どおり、約束の10時に、石巻市内にある
笹かまのお店、白謙かまぼこ店に到着
ここで、母の日のプレゼントのかわりに
笹かまのセットを私と妻の実家へと送ってもらった。
しばらくすると、サクラが原付で迎えに来てくれた。
2年ぶりにあった、彼女は
あの時と比べると
表情も服装も明るく、一安心
そこから、彼女の先導で
彼女達の新居へと向かった。
前回石巻を訪れたとき
被災した、彼らの家と工場を見せてもらった
正直、あの時は自分が頭で思い描いていた以上の
風景に、かける言葉が思いつかなかった。
小さな仮住まいで、義母と3人で暮らしていた
トイレが、ボッチャン便所なのよ
それがイヤでねぇ
でも、まだ避難所で生活してる人だって沢山いるし
贅沢はいえないよね~
津波で壊れた、ヒロシのバイク
もう、コイツはダメだけど
いつか、必ず同じバイクを手に入れたい
あの日、そんな事を気丈に話してくれた二人の事を
思い出しながら、3人の後に付いて
坂道を上って行く。(結構急だったけど・・・汗)
やがて、二人の家に着いた。
バイクを止めさせてもらった、ガレージの先には
サクラのW6
そして、その先の倉庫の中に
DUCATI PAUL SMART 1000
手に入れたんだなぁ
中古車だろうけど、世界で生産台数2,000台の限定車
“よくみつけたなぁ”とか、“大変だったろうなぁ”てな気持ちより
そこに、彼のこの2年間の間の
意地 を見た気がした。
本当はまだ、なかなか
バイクに乗る気にまで、なれないんだけどね~
笑いながら、話すサクラ
二人の愛犬 ななも元気でした。
残念ながら、お義母様は先日他界されたらしいが
短い間だったが、この家で過ごしてもらえた事が
せめてもの幸せと、二人は話していた。
二人の素敵な家の中を、一部屋一部屋案内してくれた
2階には、ゲストルームもある。
今度、東北に来る時は
絶対、ここに泊まって下さいね
リビングには、素敵な薪ストーブも
その後、YASU & みっちょんと共に
コーヒーと白謙のかまぼこ という
なんだかミョーな組み合わせではあったが
美味しくいただきながら
久しぶりの再会を喜びあった。
少々、時間が押してます。
次の予定も詰まってますので
そろそろ出発ですよ~
と、みっちょんマネージャー
本当は、夜までだって話は尽きないのだが・・・
またいつか、一緒に走れる日を
楽しみにしてるよ
そして再び、仙台へと向けて走り出した。
つづく
チョコボに挨拶をしてから、バイクに荷物を積み込み
仙台のYASUさんのマンションを出発
この日は、石巻のヒロシとサクラのところへと向かい
その後、今夜の宿泊地である須賀川に向かう予定である。
宮城県内のルート案内は、昨日に引続き、YASU & みっちょんマネージャーに
お任せである。
朝8時、塩釜に到着
朝食抜きで仙台を出発したのだが
朝から海鮮丼はしんどいなぁと思っていると
こんなお店へ
塩釜でさぬきうどん?
と、最初思ったのだが
見るからに、港で働く方向けのうどん屋さん
お店の中に入ると、港湾関係者と思しき人のほかにも
普通の家族連れなどの姿も
決して広い店内ではないが、連休の中日、それも朝8時だというのに
満席状態
少しだけ席が空くのをまって、テーブル席へ
オーソドックスなところで、きつねうどんを注文
これが、文句無しに美味い
関ヶ原から東のうどんは、真っ黒い出汁と思っていたが
かつおだしの、あっさり味
まぁ、屋号が「さぬきうどん」なのだから
当然と言えば当然なのだが・・・
昨晩、飲み過ぎ、食べ過ぎた胃袋には
とても優しい おうどんでした。
腹も膨れてツーリング再開
この日、石巻までのルートはなるべく海沿いのルートでと
マネージャーにお願いしてある
R45を北上し、次に立ち寄ったのが、松島
宮城には何度も来たことがあったのだが
松島は、初めてである。
R45を左折し、西行戻しの松公園へ
松島の周辺は、さほど大きな津波の被害を受けなかったのか
松島湾の周辺の土産物店なども普通に営業はしていた
おそらく、湾の外側にある島々が
津波を防いだのだろうか
それでも、この高台の公園にあったカフェは
震災後営業を終えたままらしい
公園の桜の樹には、まだ少しだけ桜が残っていた。
しばし、松島の美しい風景を眺めた後
再びR45に戻ろうとすると、すでに激しい渋滞が始まっていた。
両サイドにパニアを積んだ、二人のバイクではすり抜けは難しそう。
ケン坊 先に行って、適当なところで待ってて
と、YASUさん
そんじゃと、お先に失礼して
R45を左折して、しばらく行った先のコンビニの駐車場の入り口近くに
Steveを停めて一服
しばらくして、YASUさん達も到着して、
缶コーヒーでブレイク
さて、出発という時に、YASUさんの パリだから号にトラブル
さっきまで、順調に走っていたのに、渋滞にはまったせいでバッテリーあがり
どうやら、最近同じような症状が頻発してるらしく
バッテリーケーブルは、常備していたので
Steveのバッテリーカバーを外して、ジャンピング
無事に始動し、再スタート
しかしこの時、Steveのバッテリーカバーがしっかり
閉まっていなかったのか、後々悲劇を生むことに・・・
そこからまた、3台で石巻へと向かう
ちょうど、この頃放送されていたドラマの舞台でもあった
ブルーインパルスの基地がある、航空自衛隊松島基地の近くは
この辺りも、津波による塩害なのだろうか
水の張られていない、田んぼが広がっている
前にここを訪れたのは、震災直後のゴールデンウイークだった
あの頃と比べれば、瓦礫は減ったが
今も所々には集積された山があり
処分が完了しているわけではないようである。
あの頃は、少し小高い場所に
数字だけの書かれた墓標をたくさん見かけたが
今回走った限りでは、目にする事はなかった。
予定どおり、約束の10時に、石巻市内にある
笹かまのお店、白謙かまぼこ店に到着
ここで、母の日のプレゼントのかわりに
笹かまのセットを私と妻の実家へと送ってもらった。
しばらくすると、サクラが原付で迎えに来てくれた。
2年ぶりにあった、彼女は
あの時と比べると
表情も服装も明るく、一安心
そこから、彼女の先導で
彼女達の新居へと向かった。
前回石巻を訪れたとき
被災した、彼らの家と工場を見せてもらった
正直、あの時は自分が頭で思い描いていた以上の
風景に、かける言葉が思いつかなかった。
小さな仮住まいで、義母と3人で暮らしていた
トイレが、ボッチャン便所なのよ
それがイヤでねぇ
でも、まだ避難所で生活してる人だって沢山いるし
贅沢はいえないよね~
津波で壊れた、ヒロシのバイク
もう、コイツはダメだけど
いつか、必ず同じバイクを手に入れたい
あの日、そんな事を気丈に話してくれた二人の事を
思い出しながら、3人の後に付いて
坂道を上って行く。(結構急だったけど・・・汗)
やがて、二人の家に着いた。
バイクを止めさせてもらった、ガレージの先には
サクラのW6
そして、その先の倉庫の中に
DUCATI PAUL SMART 1000
手に入れたんだなぁ
中古車だろうけど、世界で生産台数2,000台の限定車
“よくみつけたなぁ”とか、“大変だったろうなぁ”てな気持ちより
そこに、彼のこの2年間の間の
意地 を見た気がした。
本当はまだ、なかなか
バイクに乗る気にまで、なれないんだけどね~
笑いながら、話すサクラ
二人の愛犬 ななも元気でした。
残念ながら、お義母様は先日他界されたらしいが
短い間だったが、この家で過ごしてもらえた事が
せめてもの幸せと、二人は話していた。
二人の素敵な家の中を、一部屋一部屋案内してくれた
2階には、ゲストルームもある。
今度、東北に来る時は
絶対、ここに泊まって下さいね
リビングには、素敵な薪ストーブも
その後、YASU & みっちょんと共に
コーヒーと白謙のかまぼこ という
なんだかミョーな組み合わせではあったが
美味しくいただきながら
久しぶりの再会を喜びあった。
少々、時間が押してます。
次の予定も詰まってますので
そろそろ出発ですよ~
と、みっちょんマネージャー
本当は、夜までだって話は尽きないのだが・・・
またいつか、一緒に走れる日を
楽しみにしてるよ
そして再び、仙台へと向けて走り出した。
つづく